今回、正月に、まじめに日本書紀の現代語訳を読んでいたら、従来の古代史解説よりはるかに血生臭く、あからさまなことが書いてある。
仁徳天皇よりあとの、履中、允恭天皇、安康天皇の暗殺、雄略天皇が兄弟殺しの後で即位するあたりまでは、ほんとに皇族間、豪族間、皇族と豪族間の殺害が多く、凄惨な描写も多い。
雄略天皇に射殺された市辺押磐皇子の死体は舎人の死体と一緒に穴に投げ込まれ骨が混ざりあってしまって区別がつかなくなった、という凄惨な話も述べられている。
こういうあからさまな殺し合いがあったから、十七条憲法の第一条があるんだな、と思うところである。しかし聖徳太子の息子の山背大兄の一家も私戦で自害することになったし、大化の改新のクーデター、 壬申の乱、恵美押勝の乱とみると、権力闘争をむき出しの殺し合いではなく、外観を取り繕うようになるのは平安時代になってからかな。。
短期間、事実上の女帝であった飯豊皇女は、「男と交合をされたが、人に語って、『人並に女の道を知ったが、別に変わったこともない。以後男と交わりたいとも思わぬ』」だし、雄略天皇は、1日に7回もセックスしながら、1日しか召してないのに妊娠したのはおかしいと疑って側近に相談している。
つーか、従来の教科書の筆者や解説者は、まじめに日本書紀読んでいないんじゃないのか?と疑いたくなった。
仁徳天皇よりあとの、履中、允恭天皇、安康天皇の暗殺、雄略天皇が兄弟殺しの後で即位するあたりまでは、ほんとに皇族間、豪族間、皇族と豪族間の殺害が多く、凄惨な描写も多い。
雄略天皇に射殺された市辺押磐皇子の死体は舎人の死体と一緒に穴に投げ込まれ骨が混ざりあってしまって区別がつかなくなった、という凄惨な話も述べられている。
こういうあからさまな殺し合いがあったから、十七条憲法の第一条があるんだな、と思うところである。しかし聖徳太子の息子の山背大兄の一家も私戦で自害することになったし、大化の改新のクーデター、 壬申の乱、恵美押勝の乱とみると、権力闘争をむき出しの殺し合いではなく、外観を取り繕うようになるのは平安時代になってからかな。。
短期間、事実上の女帝であった飯豊皇女は、「男と交合をされたが、人に語って、『人並に女の道を知ったが、別に変わったこともない。以後男と交わりたいとも思わぬ』」だし、雄略天皇は、1日に7回もセックスしながら、1日しか召してないのに妊娠したのはおかしいと疑って側近に相談している。
つーか、従来の教科書の筆者や解説者は、まじめに日本書紀読んでいないんじゃないのか?と疑いたくなった。
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