2022年01月12日

東京藝大で教わる西洋美術の見かた  書評

藝大西洋美術.jpg

佐藤 直樹, 東京藝大で教わる西洋美術の見かた (基礎から身につく「大人の教養」)  2021/1/27
https://honto.jp/netstore/pd-book_30701946.html
は、以前、いくつか書評をした。

そこに漏れていたコメント・メモも含めて、正誤表的に書いておく。

1回 
>ビザンチンでは彫刻芸術自体が誕生しませんでした。  
まあ、これは言い過ぎで象牙彫刻なんかはあったのですが、それでも圧倒的に少ないし、大型彫刻がないのは、皇帝レオのイコノクラスムのせいでしょうかね。

第2回

  チマブエのところで、
>「より新しいスタイルが後世の制作とならないとkろが、美術史の面白いところです。」
は、よい着眼ですね。

また、聖史劇の舞台装置が、ジョットなどの絵画に影響しているという見解はとてもよいと思った。

しかし、著者はミステールの歴史を14世紀からと言っているようだが、
こういう聖書の物語や黄金伝説の物語を演劇にすることは、もっと古い。

音楽まで含めて一応完全に残っているものは12世紀末〜13世紀初めにボーヴェの学生たちが演じた「ダニエル物語」があり、

クロイスターズで1958年に再演された、
メトロポリタンのサイトで、近年の再演の動画がある
Play of Daniel - Daniel Interpreting the Writing
   http://www.youtube.com/watch?v=bVQBdkKUteU

また、ヘロデ物語というのも、残っていて、再演されている。

典礼劇、聖史劇、神秘劇といろいろな呼び方があるが、こういう劇/音楽劇はそうとう古くからおこなわれていた。

またページェント 行列もずいぶん派手な作りものをともなうものがあった。そういうつくりものの絵画への影響もあっただろう。
マドリードの、三賢王パレードCabalgata de los Reyes Magos Madrid、
https://www.youtube.com/watch?v=mInTDbZnWj8


著者は音楽史に疎いのだろうか。。

第3回

>フレマールの修道院は存在しなかった

この決めセリフは、誤解が独断を呼んだものである。
・・
2018年08月20日  フレマール修道院はなかったのか? 続
http://reijiyamashina.sblo.jp/article/184215841.html

>メロード祭壇画がカンパンの基準作

というのは、いかがなものか?

というのは、メロードの祭壇画自体、1956年ごろまで一般公開は2度のみ。1906年の金羊毛騎士団展、1923年のパリでの展のみ。写真すらほとんどなかったそうだ。戦前の高名なベルギーの研究者:ヒューリン・ド・ローですら、なかなか観ることができなかったという。
従って、1956年までは、研究すらできないものが、戦前から問題になっていた「フレマールの画家」グループの基準作になりえるのだろうか??
もっとも1906年の金羊毛騎士団展のカタログではメロードのマスター (フレマールの画家)となっている。カンパンの発見は、「フレマールの画家」=「ロベール・カンパン」という説が一般化したということによるのだから、むしろ、基準作ではなく結果として「メロード祭壇画はカンパンの作品」ということになったのだと思う。

>ロヒール 署名も記録もない。

実は、ロベール・カンピンのほうこそ、署名のある絵は1点もないし、カンピンが某某の絵を制作したという記録があってその絵が残っているということは1点もないのである。ずっと後世の伝説的な記録すらない。
ロヒールの場合は、わずかながら記録がないことはない。ロヒールの場合に無いというだけなのは不公正である。
2021年04月28日  プラドの十字架降架【訂正】
http://reijiyamashina.sblo.jp/article/188621523.html


第5回
>ルーベンスやプッサンという巨匠も、ラファエロの研究をまず版画から始めるのです。

この指摘はとても良いとおもいます。

第6回

デューラーの初期ネーデルランド絵画との関係を
云々するなら、ヘールトヘン・トート・シント・ヤンスの作品より、もっと直栽なものがある。メムリンクのリューベック祭壇画の一部分に、デューラーの師匠ミカエル・ヲルゲミュートと若きデューラーが顔を出しているからだ。

デューラーとメムリンク
http://reijiyamashina.sblo.jp/article/187441235.html


 これは,ルーベンス研究で有名なHans Gerhard Eversが1972年にドイツ語で出版した100pの本がもとなので、ドイツ語が堪能な著者が知らないはずはないでしょう。ちなみに、ヲルゲミュートの絵は、特に背景が初期ネーデルランド派っぽい。

デューラーの理想的人体比例だが、もしその結果が版画のアダムとイブだったとしよう。それなら、なぜアダムとイブ(プラド)、晩年の四福音記者で、それとは違ったプロポーションの人物を描いたのだろうか?

また、
デューラーはベルリンのヘールトヘンの絵を観たのか?
https://reijibook.exblog.jp/29543988/

そして、

片手に頬をあてる、、

 デューラーの作品で、この姿勢の例として、リスボンの聖ヒエロニムスの姿勢がある。
1503年、ネーデルラント訪問のとき友人のロドリーゴに描いたもの、、

とすると、この素描自体の年代を1503年ごろにずらしたほうがいいかも、、

なぜなら、背後に巨岩があるのは、
これはパテニールの絵画の特徴だから。。
これをどう考えるべきか、、2つ考えられる。

・背後に巨岩をおくパテニールの絵画は先輩のヂューラーの影響を受けたもの。したがって 素描の年代は1497ごろ のままでいい。
・ この素描は、ネーデルラントに行ったときに観たパテニールの絵画の影響を受けたもの、ヨゼフの姿勢も1503年ごろの聖ヒエロニムスと同じ、素描の年代をずらすべきだ。


第7回
レオナルドについて、
ドーリアの板絵をなぜそんなにもちあげるのか、さっぱりわからない。
まさか、利害関係者のポジショントークじゃないかと邪推したくなるほどである。

最近のレオナルドの「新発見」はBSTVに出たというものも含めて、皆 魅力がないのが残念なことである。


第8回

>カラヴァッジョは発見されると、サンタンジェロ城に投獄されますが脱走に成功、逃亡先のトスカーナ地方ポルト・エルコレの真夏の海岸で。。死んだ。

カラヴァッジョがローマで拘留された牢獄は「トル・ディ・ノーナ」と呼ばれた建物で、サンタンジェロ城ではない。
この土地には、後にスウェーデン女王クリスチナの肝いりで劇場が建てられ牢獄は廃止になっている。

第10回
   ここで、英国18世紀中期ゲインズバラとレイノルズによる「ファンシー・ピクチャーズ」の開発が、あげられているが、非常に優れた見解だ。
詳しくは→
 2021年04月23日  ファンシー・ピクチャーズ
http://reijiyamashina.sblo.jp/article/188604882.html

11回で、ローマで活躍するドイツ人画家たち、ナザレ派に注目しているのが面白い。
佳作「イタリアとゲルマニア」については、何度か書いておいた。
http://reijiyamashina.sblo.jp/article/188624662.html
http://reijiyamashina.sblo.jp/article/188632958.html
http://reijiyamashina.sblo.jp/article/189035744.html

12回でドミニク・アングルは実はローマにいづっぱりだったことがわかって、なんか新発見したような感じもある。

posted by 山科玲児 at 20:40| Comment(0) | 日記

ウガリット神話と黙示録

Apocalypus Tapestry Angers.jpg





BC1200年以前のシリアのウガリット遺跡からでた粘土版から読みとられたウガリット神話にでてくる戦う女神アナトのことは、書いた。
2022年01月10日  アナト
http://reijiyamashina.sblo.jp/article/189261595.html
そのアナトが退治した怪物に、
「這い回る蛇を、7つの頭の強い怪物を破ったではないか」ref1
というのがある。
 聖書に関心のある人なら、すぐ連想するのが、ヨハネ黙示録第12にでてくる怪物「獣」である。イメージは14世紀のアンジェの黙示録タペストリーの一部分

>また、もう一つのしるしが天に現れた。見よ、火のように赤い大きな竜である。これには七つの頭と十本の角があって、その頭に七つの冠をかぶっていた(新共同訳12:3)

>わたしはまた、一匹の獣が海の中から上って来るのを見た。これには十本の角と七つの頭があった。それらの角には十本の王冠があり、頭には神を冒涜するさまざまな名が記されていた。わたしが見たこの獣は、豹に似ており、足は熊の足のようで、口は獅子の口のようであった。竜はこの獣に、自分の力と王座と大きな権威とを与えた(新共同訳13:1-2)

  この7つの頭 というのを、深読みして、色々な解釈や比喩、こじつけがされていたが、ヨハネ黙示録の1500年以上前に既に図像としてあったとすると、意味をもたせて造形したものではないのかもしれない。古くからあった「邪悪な獣」「神に逆らい退治される怪物」のひとつとしてシリアの人々に根強く受け継がれたアイコンなのかもしれない。
  ヨハネ黙示録自身が、シリア出身のセム語が母語で、あまりギリシャ語が得意でない人が書いた特殊なギリシャ語なんだそうだ(ref2)。シリア古来のイメージをたくさんもっている人が書いたので、こういう記述になったのだろう。

そして、「川は蜜とともに流れよ」という比喩もまた、このウガリット神話「バールとアナト」にでてくる。 出エジプト記 「乳と蜜が流れる地」を思い出さざるをえない。また、服喪として「頭に悲しみの灰を被り、頭蓋にチリをまき散らした」これもまた何かを思い出させる。


 聖書に親しんだ篤信の人は、これを あるいは読みたくないかもしれないなあ。まあ、中身は豊穣の祭儀なんで、キリスト教とは反対のものなんだけどね。

ref1   筑摩世界文学大系1 古代オリエント集、1978
ref2  オスカー・クルマン, 新約聖書 (文庫クセジュ 415)
posted by 山科玲児 at 08:39| Comment(0) | 日記

天津でもロックダウン

コロナのため、天津(人口 1400万人)でもロックダウンというので、食糧買い占めが発生しました。
少なくとも、不要不急で天津市を出ないようにという通達は出ているそうです。
天津で大規模にPCR検査するということですが、西安の場合は、PCR検査自体が三密を生み感染の媒体になっているという意見もありました。


ただ、天津は義和団事件以前から、北京の入り口であり、北京との交通 人の出入りが非常に多い都市です。したがって北京に広がるのは時間の問題です。ただ、北京では五輪やメンツを考えて、部分ロックダウン(しかも隠蔽)になるものと思われます。

一方、西安では政策の誤謬を認識したのか、少しづつ緩和する方向にいっているそうです。

posted by 山科玲児 at 05:22| Comment(0) | 日記