2022年01月30日

タルティーニの大曲 続6

50variations Tartini.jpg

2019年05月12日 タルティーニの大曲
http://reijiyamashina.sblo.jp/article/185988171.html
で紹介した、
[コレッリの主題による変奏曲」/ボーイングの技法:50の変奏

コリヤールのものを何度も聴いていて飽きない。

Giuseppe  Tartini, The Art of Bowing for unaccompanied violin, Gilles Colliard, DRC3007
1992 DORON music, Switzland

YOUTUBEの再生リストでだいたい聴くこともできるようである。
https://www.youtube.com/watch?v=6ZyI9AqOwFs&list=OLAK5uy_k3u1qh-_Sj5cx6Xvvf84Xokb-6XhwYI50
https://www.youtube.com/watch?v=eY-JoxK-1bQ
https://www.youtube.com/watch?v=vZxoRoNOGeo

やや劣るが、ギリシャのヴァイオリニストによる演奏  全曲
https://www.youtube.com/watch?v=tFQSWsImEJQ
もある。

柴田先生によると、クライスラーの編曲は「原曲の面影からは遠い」ということなので敬遠していたが、念のため聴いてみたら、呆れてしまった。抜粋ともいえない、勝手に自分の曲想を入れているもので、論外である。
確かにこれは、タルティーニのスタイルでクライスラーが作った「コレッリの主題による変奏曲」である。タルティーニ作ということはできない。

また「フランチェスカッティの編曲がやや原曲に近いがやはり抜粋だ」と批評されていたので、フランチェスカッティの編曲を聴いてみた。フランチェスカッティ自身の録音もある
Tartini: Corelli Variations (Francescatti, 1946)
https://www.youtube.com/watch?v=aB70Nxl_dss
ヘンリック・シェリングの演奏もあった。
https://youtu.be/siDE6ktJEVU
確かにずっと良い。ヴァイオリニストがなぜクライスラーの俗悪な編曲ばかり弾くのか疑問に思う。フランチェスカッティの編曲なら、まあガマンできるのだから。

posted by 山科玲児 at 14:34| Comment(0) | 日記

イミタチオ  クリティ

Thomas_a_Kempis__De_Imitatione_Christi.jpg

 イミタチオ・クリティ(キリストに倣いて)の著者という問題を考えていたとき、

中世以前の書籍・著述の著者をどうきめるか、という問題の迷路に迷い込んだような気がした。

というのも、
ウイキペディアには「ラテン語訳は匿名で1418年ごろに出された。他の著者説もあったが、現代ではケンピスの著書とみなされている。 」という変な書き方がしてあるからである。

これって中世の教会ラテン語で最初から書かれたはずじゃなかったのかな。修道士・修道院なんだからさ。それとも、古オランダ語が初稿なんだろうか? イメージはベルギーの図書館にあるトマス・ア・ケンピスが書いたという自筆ラテン語版写本

と思って、

イミタチオ・クリスティ キリストにならいて (講談社学術文庫)

を借りてきたら、前書きに解題が少し書いてあった。

ズバリいえば、トマス・ア・ケンピスは編集者でありラテン語版への翻訳者でもあった。では原型となるオランダ語の本はだれが書いたのか?
トマスの50年ぐらい先輩のヘラルト・フローテという説が強いが、直訳でもないし、他の人の著述も参考にしてるらしいし、トマス・ア・ケンピスがいろいろ整備しているので、これはトマス・ア・ケンピスの著書と言ってもいいのではないか? 中世の著述には引用や注釈の上に多少著者の見解を盛るという形のものが多く、あまりオリジナリティを主張しないものが多い。

ちなみに、この「イミタチオ  クリスティ」は、慶長元年に天草でローマ字版、慶長15年に京都で漢字平仮名版が出版されていて細川がらしや夫人も読んだそうである。だいたいローマ・カトリックの宣教師や神父は聖書を直接信者に与えることはなく、このような宗教書・祈祷書・教理問答で伝道布教教化していた。チェスタートンのいう「聖書を自分流に読む危険」をよく知っていたからだろう。
posted by 山科玲児 at 09:34| Comment(0) | 日記

綴葉装・列帖装

伊予切 (1).JPG伊予切 (5).JPG伊予切.jpg

  日本の古い本、それも冊子の綴じかたもいろいろあるが、よくみるのが大和綴じである。

しかし、古い綴じかたには、のりだけでつくる粘帖装、糸で綴じる、綴葉装または列帖装というのがある(ref)。これはどちらかというと西洋式の洋装本を本格的に作るときの綴じ方に近い。今は接着剤でやってしまう無線綴じの洋装本が多いから知らない人も多いかもしれないが。
  そのせいか、かえって理解されておらず用語としても混乱しているようだ。日本書誌学会の用語では綴葉装というそうである。また山岸徳平氏の提唱は「列帖装」だそうだ。宮内庁書陵部勤務の橋本不美男氏(ref)ですら「わずか十数年前までは、多くの人は誤用して『胡蝶装』とよんだ(筆者もその一人である)」と1974年に書いている。

最古の綴葉装または列帖装 で完本は元永本古今和歌集だそうだ。
ただ、
貧架にある 伊予切の古い複製が、この綴葉装・列帖装である。ひょっとしたら伊予切も解体分割されるもとはそうだったのかもしれない。

この装丁で、表紙布をつけるとき、布の端をページのなかに入れ込むのが習わしであるという。(イメージ)
  これは、 群馬大学教授の永由徳夫先生からご教示いただいた。知らないというのは恐ろしいもので、頁を開いたとき布きれがでるのは、なんか不良品っぽいな、、とさえ思っていたのである。

ref 橋本 不美男、 原典をめざして 古典文学のための書誌 新装版 笠間書院

https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784305701541
posted by 山科玲児 at 09:13| Comment(0) | 日記