2022年02月28日

ウクライナ



 元外交官で癖の強い論客である佐藤優氏は、2014年のクリミアでの、ロシアとウクライナの紛争のことを「毒蛇と毒サソリの戦い」と表現した。つまりどちらも黒い連中であり、一方が悪く一方が善だということは、全く無い、ということである。

 これは、前書いた、、
2014年03月27日  ロシアを焦土にし、ロシア人は皆殺し
http://reijiyamashina.sblo.jp/article/91773086.html
とも関係している。

 ウクライナとロシアの歴史、さらにユダヤ人迫害の歴史については、軽めのゆっくり動画が意外に良かった。
https://www.youtube.com/watch?v=Ss4n7WztNzI&t=3s
https://www.youtube.com/watch?v=Ccp7oZDpazU

 これによって、ウクライナ政府所属のアゾフ大隊が、ハーケンクロイツを旗にしている背景がなんとなくわかるような気がする。
  そして、2014年キエフのマイダン事件を援助した米国の大富豪 ジョージ・ソロスが、もとハンガリーでナチスに協力して同胞ユダヤ人の財産を没収していたユダヤ人であり、しかもその思い出を「楽しかった」と回想している外道であることも納得がいく。

 佐藤優氏は神学を学んだ人なので宗教に詳しい。ウクライナがギリシャ正教会とユニエイトとローマンカトリックに3分割された宗教紛争が起こりやすい地域であることも注意していた。これが、危うさを倍増させている。

 国際政治なんて、どうせそういうものだろうが、とてもこういう地域の紛争には、日本人は関与できない、と思った。


イラク戦争をするために、米国政府マスコミ総出で「大量破壊兵器」でっちあげをやっていて、日本マスコミも全てそれに乗っていたことを、私はよく覚えている。
 現代のような情報戦の時代で、日本人がほとんど何も事情を知らないウクライナの事件では、ロシア・米国・EU、DSおのおのが自分に都合のよい宣伝をしてくるのは当たり前である。
 カプリコンのような偽装がなかったとしても、事実や映像の選択(報道しない自由・編集権)だけでも十分に大嘘をつくことはできるだろう。もっとも、今の売電では、おおがかりな嘘映像も平気でやるかもしれない。なにせ意味もなくホワイトハウス外のセットで会見したりしていた実績もある。
 いずれにせよ、日本マスコミの煽りにのせられず、感情的ではない冷静な言動が望まれる。
まあ、ロイターとスプトーニクを半々に疑わしく閲覧するぐらいでいいのかもしれない。
  人民日報や環球日報の嘘は常識だが、人民日報や環球日報でも政治や共産党の利害がからまない話題の場合、本当のこともちゃんと報道する。
posted by 山科玲児 at 16:52| Comment(2) | 日記

翠玉白菜

chinese Art tresures 中華文物 USA.JPG


  2014年、東京上野と太宰府の国立博物館で台北國立故宮博物院の大展覧があったとき、東京では、玉の彫刻の白菜に大変な列ができたそうである。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Jadeite_cabbage.jpg

現在はコロナ禍であるが、2011年ごろの台北現地でもやはり、この玉彫刻は人気で、展示されている小さな展示室「明清彫刻室」の外まで長い列ができていた。そのため、その部屋にある他の展示物が鑑賞できず困ったものである。ルーブル美術館の「モナリザ」みたいになっている。

 ただ、この白菜がこのような異常な一点集中的人気になったのは、21世紀のことだと思っている。
1961〜2年、米国ワシントン、ニューヨーク、ボストン、シカゴ、サンフランシスコ
を巡回した國立故宮博物院の大展覧があった。このときのカタログ(イメージ)には、
なんと「白菜はのっていない」。
清朝時代の玉彫刻が6点ものっているのにだ。1935年〜6年の有名なロンドン  バーリントンハウスの中国古美術展示では、当時の南京の故宮博物院から多数の貸し出しがあった。軍艦でロンドンまで運んだという。カタログをみたが「翠玉白菜」をみつけることはできなかった。このときは英国の収集、や米国の収集、果ては日本やインドからも借りてきて、カタログのエントリーだけでも3080点もあったのでカタログをみてもみおとしているのかもしれないので確言はできない。
1990年代には、数人のグループを引き連れた観光ガイドがこの翠玉白菜の前で解説をぶったりしていてうざかった。しかし、解説をやれるだけ、空いていたわけで、長い列などなかったのである。 どうも、2006年に就任した林曼麗 國立故宮博物院院長が、この翠玉白菜を特に宣伝しキャラクター商品をたくさん作り、プロモートしたことがあった。それで、國立故宮博物院のシンボルみたいになったのだろう。従って新しい作られた人気だと思っている。
 同じようなプロモートは、北京故宮博物院の清明上河図巻でも行われたような気がするがこちらは常設展示はできないのでレプリカ展示になってしまうから、作戦としては台北のほうが上だったかもしれない。
  この翠玉白菜の類品は、2点みた。北京故宮博物院のものと、松岡美術館のものだ。いづれも台北のものより大きいのだが出来がよくない。台北のものはさすがにキリッとした優れた作品ではある。
posted by 山科玲児 at 08:17| Comment(0) | 日記

矢代幸雄



2009年に書いた
矢代幸雄の述懐
https://reijibook.exblog.jp/10230868/
を思い出すことがあった。最近、矢代幸雄の評伝が出たらしい。
https://www.minervashobo.co.jp/book/b595307.html

それにしても、

忘れ得ぬ人びと : 矢代幸雄美術論集1 / 矢代幸雄‖著 / 岩波書店 , 1984.2
でなぜ
味のある前言が著作集から削除されたのだろうか?
ひょっとしたら、岩波の編集者が、そういう年齢/世代だったので、カチンときてやったのかもしれないなあ。
posted by 山科玲児 at 07:26| Comment(0) | 日記

2022年02月27日

3080点の展覧会


中国古美術関係者の間で古くから語り継がれている歴史的な展覧会として、1935-6年のロンドン・バーリントンハウスでの展覧会がある。しかし、凄かったという噂だけ、部分的にアレも出たコレも出たという話だけが伝わっていて、当然同時代者じゃない当方には全貌がわからず、ピンとこない、というのが現実である。
実は、台北故宮のあの「白菜」がこの展覧会にでてるかどうか調べようと思って資料を漁っていたら、
全貌の巨大なカタログがネット閲覧できることがわかった。
Royal Academy のサイト
1935-36 - International Exhibition of Chinese Art, 28 November 1935 to 7 March
https://www.royalacademy.org.uk/art-artists/exhibition-catalogue/1935-36-international-exhibition-of-chinese-art

なんと、カタログ・エントリーが3080点ある。300点ではない3080点である。
11月28日から3月7日まで、ロンドンの暗鬱な季節で、3ヶ月強の会期だったようだ。しかし、いったい全部丁寧に観た来場者なんていたのだろうか?何回も通ったとしても不可能ではないか?と思う。
なんか量で圧倒するという感じがする。
そのバーリントンハウスの住所は、ここ。
Burlington House, Piccadilly,
London, W1J 0BD
posted by 山科玲児 at 08:13| Comment(0) | 日記

菜花スパゲッティ

菜花スパゲッティ.JPG


西川治のパスタノートの、チーメ・ディ・ラペのスパゲッティ(73P)
なんだが、
2022年02月13日 カブじゃなかった
で書いたように、実は菜花近縁の野菜でした。
で、菜花で作ったところ、結構おいしいものでした。やはり「カブの葉」じゃだめだったなあ。
長年の努力はなんだったんだろう。

posted by 山科玲児 at 06:09| Comment(0) | 日記

北宋婦人家事画像

北宋婦女専 2.JPG


北宋婦人家事画像
https://reijibook.exblog.jp/29851907/

をアップしました。

なんか今は美術館博物館にうやうやしく飾られてる白磁や青磁の瓶を火にがさっと突っ込むというのが
面白いと思っています。

posted by 山科玲児 at 05:18| Comment(0) | 日記

2022年02月26日

日米戦争が無い歴史 続

2022年02月25日 日米戦争が無い歴史
を書いたが、
もう一つのIFを考えた。

それは、1941年後半に、ドイツが日独伊三国同盟を一方的に破棄する。
というIFである。

もともと第三帝国は米国との戦争をひたすら避け続けていた。従って日米戦争開始で米独戦争になるという展開は避けたいところである。

独ソ不可侵条約を2年もしないうちに反古にしたナチス・ドイツであるから、日独伊三国同盟なんて足手まといになるならあっさり棄てるだろう。口実ならいくらでもある。日ソ中立条約とかユダヤ人問題とか。。

日独伊三国同盟でドイツにとって有利なことはそれほどない。

ドイツの情報機関はそれほど優秀ではなかったのだろうか。それとも米独戦争は不可避とみて、引き延ばしを諦め、米国に二正面作戦を強いて有利にしようという計画だったのだろうか。

posted by 山科玲児 at 10:54| Comment(0) | 日記

天目茶碗天目台がある北宋画像

宋婦女セン  detail.jpg

天目茶碗天目台がある北宋画像 をあげました
posted by 山科玲児 at 09:14| Comment(0) | 日記

2022年02月25日

日米戦争が無い歴史



平行世界  歴史IFもので、

もし、日本がハル・ノートもしくはそれに近い条件を受け入れ日米戦争がおこらず、日独伊三国同盟を破棄したら、という動画があった。
【歴史のIF】もし日本が太平洋戦争をしなかったら?前編「第二次世界大戦編」【ゆっくり考察】
https://youtu.be/rsOIZvjJ9ng


やや、粗いところがあったので、私も少し考えてみる。
だいたい、ソ連赤軍の背後には米国からの莫大な援助があったことを忘れているのが痛い。ただ、この設定なら1941年のことだから、ルーズベルトはまだ3年大統領だし、日本を屈服させた実績によってますます権力を大きくする。当然ソ連援助も継続するだろうから、まあ動画のような感じかな。
  ただ、オランダが共産化した場合、
 インドネシア植民地独立が早まる。もともとスカルノは毛沢東の同志でもあったので、インドネシアで共産国家が誕生する。 インドネシアの周りで代理戦争が起きるかもしれない。

 チャーチルは、日本を国際連盟に再加入させるか日英経済協力(石油供給)をちらつかせて、帝国海軍をインド洋中東沿岸でのドイツ軍制圧に利用しようとするんじゃないかな、と思う。
第一次大戦では地中海まででばっていったんだからなあ。

ただ、これより、蓋然性が高いのは、
ルーズベルトが慣習通り1940年で大統領職を退き、次が共和党政権になる。
というIFである。

だいたい3期目に出馬するということ自体が異常である。1940年の大統領選挙の時点では米国は戦争なんかしていない。おまけに1937年の隔離演説は大変な不評だった。
 なぜルーズベルトが3期目の大統領選挙に出馬でき、しかも当選したのかまったくわからない。
タマニー・ホールのような、ドミニオン・パワー バイデン・ジャンプのような不正選挙は100年来民主党の十八番であった。どうもそういうのをこの選挙には感じるところがある。

  もしそうなると、ワシントンの官僚は総入れ替えになる。マッカシーズムが1941年には吹き荒れ多量逮捕となり、アルジャー・ヒス、デクスター・ホワイトなどは早々に逃亡・自殺する。
そして、ソ連への援助は激減する。

その分英仏への援助が大きくなる。 そして、日本とも妥協が成立するだろう。
posted by 山科玲児 at 20:07| Comment(0) | 日記

ジノリの白い皿

ginori.jpg


花耀亭  様が、

気分はバロック?(^^;
https://blog.goo.ne.jp/kal1123/e/4cce5b00944fbaaf3e4f186e76e5b7e4

で、イタリアのジノリのヴェッキオ・ホワイトのティーカップをとりあげておられましたんで、
当方も、いただき物のジノリの白い皿をあげてみます。

白は、写真では少し色修正しないと、なかなか現実の色合いに近い画像にはならないですねえ。

posted by 山科玲児 at 07:33| Comment(0) | 日記