山科玲児の近況とともに、古美術、美術館,長崎市、科学などの話題を書くつもりです。
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2022年05月16日
posted by 山科玲児 at 07:55|
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日記
クリーブランド美術館https://www.clevelandart.org/art/1958.32のサイトで売買経路伝世経路をたどると面白いことがわかる1910年Alfred Flechtheim, Düsseldorf, Germany1914年Max Siller, Barmen, Germany1914年Paul Cassirer, Berlin1927年Justin Thannhauser, Munich, Berlin, Lucerneなんとオットー・ヴァッカーが生まれたデュッセルドルフに、1910年ごろにあった。まあ、このとき観たとは思えないが?? そして1914年に事件のあったカッシーラー画廊にあった。オットー・ヴァッカーの父は画廊でみたのかも。。ただ、1928年の事件だから、そのずっと前、1914年ごろに、カッシーラー画廊でカラー絵葉書とか豪華図録とか複製を作ったのかもしれない。そのカラー複製を参考にしたと考えたほうがよさそうだ。そういうものが1910年代に容易にそう高くなく作れたかというと、確実に作れた。 なぜかというと、イメージの英国ナショナルギャラリー名画集は、1909年の出版で、しかも1シリングという値段だった。その表紙にまあ観れる程度のヤン・ファン・アイクの自画像のカラー複製がある。ただ、これは分冊のPART7で、この1冊に100枚カラー図版入っているわけではない。表紙こみで8枚だけだ。当時の1シリングというと2000円〜1000円ぐらいか?? まあ現在なら芸術新潮ぐらいの価格の雑誌である。 つまり、この程度の価格で販売できる程度に、粗悪なこともあっただろうが、カラー印刷が普及していたという証拠である。
posted by 山科玲児 at 07:27|
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