2022年08月08日

ボス展のカタログを読む 38 試訳

Bosch Prado 2016.JPG




  ヒエロニムス・ボス の日本語の本は、古過ぎるか、イコノロジーに特化してるか、それとも間違いが多いかだ。

あの学術的な
西洋美術の歴史−ルネサンスU−北方の覚醒、自意識と自然表現』(中央公論新社)
http://www.chuko.co.jp/zenshu/2017/04/403595.html
があのていたらくだったから::
 それで、一念発起して、バランスが良い、このプラド  カタログの総説を、少し翻訳してみたが、、いやああ、なんという詳細、こんなに詳しい日本語の伝記は、雑誌論文はともかく、学術書にだってないと思う。ただ、ラテン語の法律用語なんかあって、かなり無理無理、、ちょっと諦めたくなっている。。

  試訳は、、こんな感じ、、
×**************** **************
 ボスは、6世代に及ぶ画家一族の一人である。AKENが彼らのもともとの姓だとしたら、最も古い先祖はアーヘンからニーメーヘンにきた。そして、ス ヘルトーヘンボスに移住したのである。ボスの曾叔父であるThomas van Aken(1355? -1404/10)は1404年にニーメーヘンの市民になった。そして、古文書館には'画家Maes(Thomas)'と記録されている。
 ボスの祖父Jan(Jhohannes) van Aken(1380? - 1454) Katharinaという女性と結婚しており、ス ヘルトーヘンボスへ移住している。ス ヘルトーヘンボスで、1427年3月20日に記録がある。Janは4人の画家の息子をもった。 Van Aken ファミリーの第3世代である。Thomas(1407? -1462),
Jan(Johannes)(1413-1471?),
Goessen(Goeswinus)(1418? -1467),
ボスの父Antonius(1420? - 1478)である。
  Jan van Akenの子や孫に関する残された記録のほとんどは、聖母兄弟団関係のものである。


ボスの父Antoniusの年長の兄Jan van Akenは、1430年2月21日にブリュッヘに市民登録している。なぜ彼がそこにいたのか、そしてどのくらい住んでいたのかはわからない。
 すぐにス ヘルトーヘンボスに戻ったのでは、という議論もあったが、それは同名でやはり画家の父(1454逝去)の記録と混同しているのかもしれない。
 
Antoniusの兄弟Goessen van Akenについては、いくらか記録がある。1447/1448年の兄弟団の帳簿(folio 232v)に,
画家Goessenに2つの燭台の金塗装と、シンントヤンス教会の兄弟団チャペルの壁画「エサイの樹」を修理させ費用を払った、と記録されている。この壁画は現存する。Goessenは更に兄弟団の仕事をしている。
1449/1450年の兄弟団の帳簿(folio 25v)に1
つの燭台の金塗装と兄弟団チャペルの聖ヨハネと聖マグダレーナの像の彩色の仕事に7ギルダー支払ったと記録されている。
posted by 山科玲児 at 08:05| Comment(0) | 日記

柚子そば

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 心洗庵で 2色そば[柚子そば と田舎そば]を食べた。
 柚子そばは、面白い味だった。ただ、つけ汁につけて食べると つけ汁の味が濃いのでほとんど柚子の味が無くなってしまう。
 そこで、つけないで食べるということになり、かなり苦しい。食べ方の工夫の余地がありそうだ。
 あるいは薄味のかけそばにするとか、、

 田舎そばは太いものだが、山形の板そば  ほどは野趣が無かった。
posted by 山科玲児 at 06:53| Comment(0) | 日記

2022年08月07日

料理物語

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 まんが「逃げ上手の若君」
の解説は、専門家の本郷和人氏がやっているのだが、江戸時代以前の「肉食」について、あまりに「全面禁止」的なみかたを書いているのは、いただけない。
 江戸時代  寛永20年(1643年)年の印刷本:料理物語、はかなり豊かな階層の料理を教えるものであろうが、、ジビエは多いし、犬の料理まで1品記載されている。なんかこの本絶版で異常にアマゾンでは高い古書価になっていた。

  綱吉より40年前ですら、これなのだから、それ以前、室町、鎌倉、平安では僧侶はともかく、肉食は多かったのでは?
  狩りをやっていた武士・貴族は当然ジビエを食べていた。平安時代のある高級貴族は、毎晩、雉の血をさかなに飲んでいたそうだ(大鏡)。
posted by 山科玲児 at 12:57| Comment(0) | 日記

ボス展のカタログを読む 37 女性画家

Bosch Prado 2016.JPG

ボスの兄のホーセンの未亡人カテリナが、聖バルバラの彫像の彩色をして、支払いを受けている。
これは、そうとう古い女性画家の例かもしれない。
ただ、工房の助手たちにやってもらって納品しただけかもしれないが、ある種の有名画家も似たような業務形態だったとされている以上、カテリナ ファン アーケンを画家といってもいいと思う。

 14世紀、クリスティーヌ・ド・ピザンが雇っていた細密画家は女性のようだったので、
女性画家の記録は更に100年以上遡るだろうけれど、ヒエロニムス・ボス関係の記録で女性画家を示唆する記述がでたのは面白いことだった。
 アーケン一族が画家一族だったので、ファミリーの中で教育ができたということもあるのだろう。
もっと時代が下れば、ピーテル・ブリューゲルの義母は、画家版画家実業家であるコックの夫人だったが、グイチャルディーニが「ネーデルランドで画技に卓越した4人の女性の一人」と記した人だった。




posted by 山科玲児 at 09:19| Comment(0) | 日記

穴守稲荷

穴守 おこわ.JPG


羽田空港への京急線は、結構、停車駅が多いが

大鳥居という駅と、穴守稲荷という駅が続いている。
 ここは、大森貝塚でも有名な大田区だし、
なんとなく駅名に古代人の息吹を感じた。
 これは、諸星大二郎風の妄想空想かもしれないが、地名というのは、非常に古い時代からの伝承を残しがちなのは、事実である。

 羽田で穴守五種おこわいなり というのを売ってたので縁起物だと思って買ってみた(イメージ)。
穴守おこわ」5種
posted by 山科玲児 at 09:06| Comment(0) | 日記

2022年08月06日

モーニング

豆なダイナー.JPG

羽田空港のタリーズでモーニングセット食べたが、やはりあの  ホテル エミット1F
の豪華なモーニング(イメージ)は破格にいいんだな、
と再確認した次第である。
「豆なダイナー」
https://mamena-d.com/

朝食つきセット宿泊以外なら1,100円だがそれでも食べる価値はある。
A.M.7:00〜
posted by 山科玲児 at 09:36| Comment(0) | 日記

NHK ルーブル番組  続き

NHK BS  の  ルーブル 番組を、東京の  アパホテルで観た。
件ですが、、更に続き、、
***
  また、グレゴリー・エアハルトの「マグダレーナ」彫刻があたかも、戦争と関係しているかのように紹介されているが、なんか違うんじゃないの。
これはもともとドイツの作品ですよね? 

Gregor Erhart (German sculptor, 1470 ? 1540) - Sainte Marie Madeleine
https://collections.louvre.fr/en/ark:/53355/cl010093565

この彫刻家は南ドイツウルムの生まれで近くのアウグスブルクで仕事していて、しかもこの作品1515-1520ごろとのこと。宗教戦争が起こる前の時代の制作だ。もともと、アウグスブルクのドミニコ会教会にあったものである。またルーブルに入った1903年は欧州にしては珍しく平和なベル・エポックの時代だった。
posted by 山科玲児 at 08:23| Comment(0) | 日記

NHKとジョルジュ・ド・ラトゥール

tricher  george de la tour  louvre.jpg   job gerorge de latour epnal.jpg


NHK BS  の  ルーブル 番組を、東京の  アパホテルで観た。
  ほんのちょっとの時間だが、
17世紀フランスの画家:ジョルジュ・ド・ラトゥールについての、ナレーションには、呆れてしまった。NHKは映像や音楽は良いが 脚本が、そうとうひどい。

 「ラトゥール」が第一次世界大戦ごろから研究が進んで、優れた画家として再発見されたのは確かにそうであるけれど、
「いかさまトランプ」(イメージ左)自体は1930年代の発見再評価であって、2つの世界大戦には関係がない。
 その「いかさまトランプ」をあたかも20世紀の戦争の時代と関係があるかのように解説するのはいかがなものか?

 ナチス占領、ヴィシー政権下の抵抗運動の中で、特に詩人ルネ・シャールがラトゥールの「ヨブと妻」(ロレーヌのエピナール イメージ右)のカラー複製を「逆境に負けない不屈のフランス人」の象徴として普及させたのは、確かである。しかし、それはルーブル美術館にあった作品ではない。
 20世紀の戦争と関係があるとしたら、戦争でフランスが貧窮したために、ワシントンナショナル・ギャラリーの「ファヴィウスのマグダレーナ」やメトロポリタンの「女占い師」など、優れたラトゥール作品がアメリカへ流出し、フランス人の憤激をかったということだろう。
 確かにラトゥール作品の背景にはロレーヌとブルボン朝フランスとの戦争でロレーヌが荒廃したという背景がある。ロレーヌの画家版画家は国外で活動するはめになった人が多い。むしろそこに、20世紀での亡命画家たちの運命に重ねればよかったのにね。そしてラトゥールはむしろルイ13世占領軍パリ政権側にたった人であり、ロレーヌからいうと売国奴である。

昔、故宮博物院の本をNHKプロデューサーが書いていて、あまりひどいので呆れたことがあった。脚本家プロデューサーあたりに問題があるのかもしれない。

posted by 山科玲児 at 06:16| Comment(0) | 日記

2022年08月05日

ペロシ訪台と新聞

ホテルに滞在し、偶然、読売新聞(8月4日、14版)で
ナンシー・ペロシ訪台の記事を観たが、驚いたことに、ペロシや台湾政府が直接何を発表したのか?? 何をしゃべったのかの翻訳は7面の下のほうにようやく「要旨」をみつけるだけだった。当事者ではない評論家のコメントや社説解説ばかりが大きな紙面を占めていたのには驚かざるをえない。
 新聞は報道を放棄してワイドショー化している。
 なるほど、これでは新聞を購読しようとする人がいなくなるわけだ、とつくづく思い知った。既に滅びていたんだなあ。

 なお、かろうじて、読売紙面でよかったのは、時系列にあげたペロシ日程があって、ペロシは台湾にいってまっさきに会談したのはなんとTSMCの劉会長であった、ということだ?? え、別にこの人なら、米国や日本やシンガポールなどでも容易に会えるだろ、、何やってんだ??  あるいは劉会長から台湾政府の意向や動静、立場を事前に間接的に聞き出した、ということならわからないでもないが、、
posted by 山科玲児 at 15:36| Comment(0) | 日記

ペロシ訪日が横田基地だったわけ

ナンシー・ペロシ下院議長は4日午後4時に横田基地に米軍機の旅客機で着陸。
その当時羽田は豪雨で、そうとう気候が悪かったはず。ANAのほとんどの便が欠航した。
横田にしたのは羽田が危険だったからだろう。
posted by 山科玲児 at 15:07| Comment(0) | 日記