2022年11月25日

智積院の障屏画

智積院  桜楓-1.jpg

サントリー美術館で智積院の障屏画の展示があるそうだ。

京都・智積院の名宝
2022年11月30日(水)〜2023年1月22日(日)
https://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2022_5/index.html

神戸に住んでいたときに、智積院を訪ねたことがあるが、当時は体育館みたいなガランとした部屋においてあった。

  この智積院の障屏画 現在でこそ長谷川等伯一門の名画で国宝だとされているが、19世紀までは狩野山楽 の絵だということになっていた。名所図絵などに掲載されていたので、一応有名だったが、現在ほどの評価ではなかっただろう。
 長谷川派の作品だと分析したのは1930年、土田杏村 氏(日本画家:土田麦遷の弟)であった。奈良、飛鳥園の雑誌:東洋美術に力作論文が掲載されている(ref)。下に原論文の巻頭イメージを初出雑誌そのものから撮影してあげておく。実はこの雑誌の巻頭目次には論文の
題名が「智積院障壁画の筆者を論ず」と書いてある。ところが、本文に書いてある題名は下の通り。そこで、近年の学者先生も論文題名を間違っている人がいるというお騒がせ事情もあった。

さらに、敗戦後すぐの治安が悪い時代には金閣寺焼失、法隆寺壁画焼損、など文化財へのテロ的な事件が多かったが、昭和22年(1947年)ここ智積院も火事になり、そのとき、近くの京都博物館の学芸員などが活躍して障屏の運び出し切り出しを行って、約半分を助け出した。壁貼り付けのものでは、運び出せなかったものも多かっただろう。

 逆にいえば、運び出せたものであるから、東京に移動することもできるわけではある。
 古い伝統のある名画でも、実際に名画だと認識されたのは意外に新しく、しかも、その時代その時代の多くの人々の努力で現在まで伝わっているということを忘れてはいけないと思う。


ref 東洋美術、第7册 1930年9月30日、 土田杏村           智積院障壁畫論
東洋美術7  土田杏村.JPG

posted by 山科玲児 at 20:32| Comment(0) | 日記