2022年12月21日

拓本制作者たち

爵IMG total.jpg王秀仁 爵.JPG

  宋拓だ明拓だと誇大なあおりをやって高価にとりひきされることもある拓本だが、
現時点では、まあまあバブルもおちついているようである。
 最近、気がついたのは、拓本を実際に制作する人の名前がほとんど伝承されていないことである。
 拓本のもとになる碑を彫ったひとの名前は初唐時代に遡って残されていることもあるし、17世紀ごろには、法帖原版の版木彫りの名人という人の名前も残っている。
  ところが、紙の拓本を作る技術者は専門性が要求されなかったのか、全く名前が残っていない。
名が記録されるようになるのは、清時代19世紀からで、青銅器の器形拓(イメージ)を発明したという六舟達受という僧からではなかろうか?
器形拓は創作性があるからだろうか? 浮世絵の刷師の名前のほうは1760年代鈴木春信のころから残っているようだから、こちらのほうが古そうだ。日本のほうが職人技術の尊重は高いようである。
最近、中華民国時期に活躍したらしい「王秀仁」という人を見いだした。上記器形拓も「秀仁手拓」という印があり彼の作品だ。この人は、
呉趙印存
西レイ八家印選

の実際の制作(印を押すことと、拓をつくること)をやった人でもある。

posted by 山科玲児 at 05:55| Comment(0) | 日記

2022年12月20日

手本は三国志

三国志呉志P1030751.JPG

最近、中国製の楮紙を入手したので、久しぶりに手習いやっている。
手本は、老女人経(台東区書道博物館 所蔵)か 三国志呉志残片(イメージ 台東区書道博物館 と上野家に分蔵

この種の書風がなんとなく肌にあうようだ。この書風で蘭亭序を全文書いてみるというのも面白いかもしれない。
posted by 山科玲児 at 17:40| Comment(0) | 日記

ジョスカンのピッチ

pca josquin ジョスカン.jpg



モテット、祝されたり天の女王
Benedecta es coelum regina

イメージのCDがLPだったころからの愛聴曲で、とても祝祭的で高揚感に満ちた作品である。
 とくに、第一部末尾のハモる合唱Ave plena gratia, 第二部の二声のカノンは印象的である。
 16世紀では評判の高い曲だったらしく、多くの作曲家が編曲したり、ミサの素材に使ったりしている。
 ちなみにこのジャケット写真は、ルッカ・デルラ・ロッビアの石彫で、フレンチェのドウモ美術館にある。
フランドル楽派の宗教曲というと、お葬式用のレクイエムやミゼレーレなどばかりがとりあげられがちで深刻哀悼などの感じが強調されがちだが、実はこのような祝祭用のものも少なくない。デュファイのNuper Rosanm Floreceもそういう曲である。
なぜか、このBenedicta録音が最近まで少なかったのは不思議である。海外でも、やはり深刻な雰囲気のもののほうが偉い・価値が高いという迷信・先入観があるのだろうか?
 この曲を 米国の団体ポメリウムで聴いていたら、あることに気がついた。
Josquin Després -- Benedicta es, cælorum regina
https://youtu.be/K4N6NrPBalE
超低音の使用である。これでは、超低音をバスが出せないときは、ピッチを上げて底上げするしかない。そうすると、ソプラノがいやに高い音を出さなければならなくなる。上のLPではテルツ少年合唱団員が相当がんばって歌っていた。同時に低音を楽器で補強している。
Josquin Des Prez - Benedicta es coelorum regina
https://youtu.be/a24lT0P5Qkc
他の演奏ではソプラノが苦しそうなものもある。ポメリウムの場合は低音を出せるバスがいたので、ピッチを下げることで、最上声も無理なく歌えている。
posted by 山科玲児 at 07:00| Comment(0) | 日記

2022年12月19日

ウェルウィッチア



昔、サボテンを初め、沙漠の植物を色々研究したことがあった。
偶然、この動画を観てなつかしく思いました。
当時より、色々理解が進んだことがあったんだね。。

ウェルウィッチア
https://youtu.be/xMh9lX_2oZk
posted by 山科玲児 at 17:13| Comment(0) | 日記

2022年12月18日

サザビーズでフローベルガー曲の再発見があってた



2021年12月09日
フローベルガー曲の再発見
http://reijiyamashina.sblo.jp/article/189189328.html

で、キエフから返還されたベルリン・ジンクアカデミー蔵書のフローベルガー楽譜のことを書いたが、
偶然、検索で、2006年サザビーズ・オークションで、晩年のフローベルガーの自筆譜が再発見されていたらしいことを知った。
Missing works by cloak and dagger composer for sale
https://www.reuters.com/article/us-froberger-idUSL0926062920061109

Sotheby'sの記録
https://www.sothebys.com/en/auctions/ecatalogue/2006/music-and-continental-manuscripts-l06409/lot.50.html

これは35曲が収録されており、18曲が未知の作品だった。
神聖ローマ皇帝レオポルド1世の紋章つき装幀であり、信頼度・品質も高そうだ。
posted by 山科玲児 at 13:28| Comment(0) | 日記

国宝 智永 真草千字文が世に出た由来

小川本 真草千字文P1070626 (1).JPG


国宝 智永 真草千字文(イメージ)が世に出た由来について、紛失したらしい谷如意の跋写真とともに紹介します。こういう聞き書きは忘れ去られ易いものですから。
posted by 山科玲児 at 08:20| Comment(0) | 日記

汝窯 概念の混乱がかってあった

tnm よう州窯青磁碗.JPG

 日本において、昔、汝窯がわけがわからなくなったのは、1930年代〜1970年代ぐらいの一時期、耀州窯(イメージ 当方撮影)系統の製品を「汝窯」と呼び、英国でデヴィッド卿が「汝窯」と呼んでいたもの、即ち21世紀の現在「汝窯」と呼んでいる陶磁器を「汝官窯」と呼ぶというわけのわからないことをやっていたのが、混乱のもとであったようです。
 事実、壺中居の広田不孤斎の著書(1957年初版 ref)でも、三菱の岩崎家の「耀州窯」の「青磁刻花牡丹文瓶」(現在 大阪市立東洋陶磁美術館)を「汝窯」と記述してます。一方、台湾の國立故宮博物院の場合はデヴィッド卿と同じ考えで「汝窯」を認識してました。1961年刊行の「故宮蔵瓷 汝窯」は、その方針で編集してあります。当時は國立故宮博物院は台中にありました。
昔の文献を読むとき、この事情を知っていないと訳がわからなくなります。

 また、臨汝窯というのがあって、これも混乱のもとになっています。ここは、耀州窯系統のものや汝窯類似のものなど、多様な陶磁器を製造していた窯だったようです。そのために、21世紀の現在「耀州窯」とされているものに対して、1960年代に「汝窯」と呼んでしまう遠因にもなってしまったんですね。

 例えば、
河南省臨汝県宋代汝窯遺址調査-1-
馮 先銘,杉村 勇造 訳
https://iss.ndl.go.jp/books/R000000004-I797594-00
 これは、1965年に日本で刊行された、中華人民共和国の古陶磁専門家の古窯遺跡調査報告ですが、中華人民共和国でも、臨汝窯が汝窯ではないか、と推測していたようです。

ref,   廣田不弧斎「骨董 裏おもて」(昭和40年三版、ダヴィッド社)

posted by 山科玲児 at 06:30| Comment(0) | 日記

2022年12月17日

川端康成旧蔵  汝窯盤

東博汝窯 2017nov.jpg



(イメージは当方撮影)

繭山龍泉堂社長:川島氏が、現在は、東京国立博物館にある日本に2点しかない北宋汝窯の陶磁器のうちの1点について、伝え聞いた話を披露しています。なんと、最初は、昭和29年、名古屋の茶道具屋さんが、業者の交換会にもちこんだものだったんだそうで、だれもわからなったものを、繭山順吉さんが、ひょっとしたら??ということで入手したものなんだそうです。川端康成の逸話もとても面白いものでした。

骨董トーク2021年10月号:東京 美術の祭典 東美特別展をめぐる (該当部分へ跳ぶURL)
https://youtu.be/VX_REBHd-ig?t=721

posted by 山科玲児 at 08:31| Comment(2) | 日記

上東門院 中宮彰子

暴れんぼう少納言

根津美術館
 企画展 遊びの美
    2022年12月17日(土)〜2023年2月5日(日)
で展示される上東門院菊合  ですが、
  この 上東門院 中宮彰子がまだ御健勝だったころに書かれた写本なんですね。彰子ご自身に御覧に供され、閲覧校閲された原物かもしれませんね。
 暴れんぼう少納言の第7巻(イメージ)で、大いに成長したところを見せる中宮彰子(永延2年(988年) - 承保元年10月3日(1074年10月25日))です。なんか最近評伝や小説も出てるみたいですね。なんとなくですが、その政治力・賢明さを推察するに、ハプスブルクのマルグリット・ドートリシュを連想してしまいました。

posted by 山科玲児 at 07:41| Comment(0) | 日記

2022年12月16日

1956年京都で開催された宋元明清中国絵画展

1956年京都で陳仁濤コレクション絵画展


アップしました。

昭和31年時点の日本のインテリゲンチャの中国絵画理解がいかにずれていたという、証拠でもありました。あるいは、一流画家にして一流の贋作者、張大千がいかに傑物であったのかという証拠です。
posted by 山科玲児 at 06:37| Comment(0) | 日記