
宋拓だ明拓だと誇大なあおりをやって高価にとりひきされることもある拓本だが、
現時点では、まあまあバブルもおちついているようである。
最近、気がついたのは、拓本を実際に制作する人の名前がほとんど伝承されていないことである。
拓本のもとになる碑を彫ったひとの名前は初唐時代に遡って残されていることもあるし、17世紀ごろには、法帖原版の版木彫りの名人という人の名前も残っている。
ところが、紙の拓本を作る技術者は専門性が要求されなかったのか、全く名前が残っていない。
名が記録されるようになるのは、清時代19世紀からで、青銅器の器形拓(イメージ)を発明したという六舟達受という僧からではなかろうか?
器形拓は創作性があるからだろうか? 浮世絵の刷師の名前のほうは1760年代鈴木春信のころから残っているようだから、こちらのほうが古そうだ。日本のほうが職人技術の尊重は高いようである。
最近、中華民国時期に活躍したらしい「王秀仁」という人を見いだした。上記器形拓も「秀仁手拓」という印があり彼の作品だ。この人は、
呉趙印存
西レイ八家印選
の実際の制作(印を押すことと、拓をつくること)をやった人でもある。