東京国立博物館の普賢菩薩像についての逸話があるが、意外に知られていないか不正確である。「山辺光一」氏という名前も「山辺某」とか略されていることが多い。フェノロサの言葉も実はあまり知られていず、単に「激賞した」と書かれているだけのことが多い。ネット時代になり、こういう逸話が正しく伝えられるように転記しておく。イメージは下2/3の部分図、意外なことに上部の天蓋や落花の部分のカラー写真は少ない。保存状態は悪いが、この部分もとても美しいと思う。
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明治11年、博物館の吏員山辺光一は一幅の仏画を館の蔵品にするため購入した。奈良の古寺から出たらしい普賢菩薩の像であり、値段は20円ほどであった(50円との伝えもある)。しかし、館内での評判は悪かった。多くの人々は、高すぎるし、作品もさして良くないと感じたのである。
同20年5月、東京芝の慈恩院で古画の陳列がおこなわれた。行啓された皇后をお慰めするのが目的であったが、普賢菩薩も展示品に加えられていた。すると、たまたま見学に来たアーネスト・フェノロサがその絵の前で足を止め、「世界のどんな名画にくらべてもひけはとらない。もし買うとすれば30万円くらいはするに違いない」と嘆声を発した。東京大学で哲学などを教えるべく日本政府に招かれたフェノロサは、東洋美術に心惹かれ、造詣も深かった。そのフェノロサの言葉で、人びとはようやく普賢菩薩像の美しさに気づき、博物館の関係者たちも取り扱いを慎重にするとともに、台帳に記す評価をも1万五千円にあらためるにいたった。」
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これは、昭和20年、戦災死した溝口禎治郎氏(もと美術課長)の手記にみえる挿話である。
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SOURCE:三山進、東京国立博物館100年の買い物、芸術新潮、1973年1月号、79頁