2023年03月08日

中国陶磁の海外貿易史 問題

中野 美代子 ,  その政治の図像学 乾隆帝 (文春新書) 新書 – 2007/4/20
227〜229頁
にある中国陶磁の海外貿易史は、1980年代の知識でみても、ムチャクチャで間違いだらけなので、
参考にしないでください。

ジョン・エアーズ、「ヨーロッパにある東洋陶磁」、ミュージアム no.235 1976年十月号
三杉隆敏 先生の、 海のシルクロード本
などを参照して、ください。

更に、20世紀末までに、

青花(染め付け)技術が唐代後期に開発されたが、消えてしまい、南宋時代に再発見され、元時代からとくにイスラム圏輸出品として盛行した

という筋書きが、
認知されているということぐらいは、本で読んで欲しかったなあ。

そして、ヨーロッパに来たのは早くて15世紀だということも。

しかし、北海道大学には、まともな中国陶磁史の本すらないのでしょうか? 北海道大学 社会科学実験研究センター では何億円も科研費使っているんだから、少しは図書館に予算回してくれてもいいのにね。





posted by 山科玲児 at 05:01| Comment(0) | 日記

2023年03月07日

西洋美術館のにそっくり



 CODARTのニュースを読んでいたら、1944年にポーランドのワルシャワから流れた
 初期フランドル絵画が、スペインからポーランドへ帰ったというニュースがあった。
https://www.codart.nl/art-works/diptych-by-dieric-bouts-restituted-from-spain-to-poland/

この 戦争時期のスペインへの移動がどういう事情だったのかは、よくわからないが、

 この一対の絵画、西洋美術館にある一対の絵とよく似ている。
https://collection.nmwa.go.jp/P.1980-0003.html
https://collection.nmwa.go.jp/P.2007-0001.html
  また、ディエルク・ブーツ展の図録を参照すると、他の美術館にも似た絵があるようだ。
 西洋美術館のサイトの解説にあるように、ディエルク・ブーツ工房では、こういう絵画を量産していたようである。
 ラファエロの聖母子と同様の、人気作品だったのだろう。


posted by 山科玲児 at 05:32| Comment(0) | 日記

2023年03月06日

天皇の名前

大日本史.jpg


中野 美代子 ,  その政治の図像学 乾隆帝 (文春新書) 新書 – 2007/4/20
18頁。日本の天皇の 諡号 つまり「後醍醐天皇」などについて、
「天皇号そのものも消滅していたことも記憶しておくべきだろう。すなわち光孝天皇(884−887在位)以後は途絶えていた天皇号が、兼仁上皇の死に際し、かれに光格天皇(1779-1817在位)なる諡号を贈ることにより、ようやく復活したわけである。」
という文章がある(数字をアラビア数字に変えた外は原文のママ)。

これでは。あたかも、歴史上有名な天皇の名前、宇多天皇、醍醐天皇、一条天皇、白河天皇、後白河天皇、後醍醐天皇などなど、皆、江戸後期に勝手につけたことになるような誤解ミスリードをさせる文章である。たしかに「後白河天皇」という固有名詞はなかったし、水戸学の大日本史(イメージ)あたりから出た固有名詞だったかもしれないが、「後白河法皇」や「後白河院」は「追号」としてあったはずである。

というか、光孝天皇〜光格天皇の間の天皇58人(南北朝をどう数えるかで違うが)のうち、在位中の崩御は1/3未満の十数人である。他は皆、譲位している。譲位なら薨去したときは天皇ではないので「XX院」とかになるからだろう。また病気したときに、回復と万一のときの極楽往生を願って譲位出家するということも多かったのではないか。したがって法皇として薨去することも多かったはず。後白河法皇はそうだしね。

 また、この譲位というのが崩御直前に急いで行われることも多かったようである。これは天皇として崩御すると宮殿が死穢の汚れということになって移転することになったり、葬式や大喪などが大変で、政務が長期中断したりするので、それを避けることと、生前に跡継ぎを決めたという形にしたかったということもあるのだろう。


posted by 山科玲児 at 07:26| Comment(0) | 日記

2023年03月05日

コオロギ食  ごり押し

コオロギ パウダーの別名:いろいろな名前でごまかしにきます。農林水産省の利権にしたいのでマスコミもグル

ドライクリケット
グラリスパウダー
サーキュラーフード
シートリア
  まだまだ発明するかもしれないねえ。

これって、6年ほど前に言及したコレの一環だよな。なんか非論理的なアンチがコメントしてきたけど、桜ういろうみたいな共同通信の工作員だったのかもしれないなあ。

2016年12月27日 国内植民地主義
http://reijiyamashina.sblo.jp/article/178188107.html

共同通信にネット工作員が複数いる証拠::
タグ:コオロギ
posted by 山科玲児 at 17:37| Comment(0) | 日記

パレストリーナの名前

palestrina sine nomine  homme arme4.jpg




  ルネサンス後期の音楽家作曲家
パレストリーナは十九世紀から既に有名であった。
  ただ、柴田南雄先生の本では、、
ジョヴァンニ・ピエルルイージが名前であり、パレストリーナは出身地に過ぎないと
書いてあった。じゃ、「ジョヴァンニ・ピエルルイージ」と呼ぶべきで「パレストリーナ」なんてのは俗称だとずっと侮っていたものだ。

今回、パレストリーナのCD、しかもイタリアの団体によるもの、を複数買ったのを機会に、図書館から
リーノ・ビヤンキ, パレストリーナ その生涯、 2000/9/4、 カワイ出版
という浩瀚な本を借りてきてみた。

まだ精読はしていないのだが、とばし読みしただけでも発見があった。

当時の手紙や公文書が多数引用されているのだが、ほとんどがパレストリーナ(または、スペルが違った同類語)あるいはジョヴァンニ・ダ・パレストリーナであり、ピエルルイージは殆どでてこない。

そうなると、現在の慣行名のパレストリーナで誤用とはいえないようだ。

その点、レオナルド・ダ・ヴィンチの場合とは全く違う。ダヴィンチなどという呼び方は当時、ほとんど無い。レオナルドだけである。

posted by 山科玲児 at 08:50| Comment(0) | 日記

中野美代子先生の乾隆帝本

 米寿を過ぎた、中野美代子先生だが、かなり前の著作を最近読むことが多い。独自の面白い見解が多く啓発されるところが多い。
 ただ、明白な誤謬もあり、教科書的な典拠/論文の典拠には、危なくて使えないように思う。

今、乾隆帝本を読んでみた、、

中野 美代子 ,  その政治の図像学 乾隆帝 (文春新書) 新書 – 2007/4/20

1.156頁に、
蘇州の世界遺産庭園 獅子林が 倪雲林がつくったことになっている。
  全くの間違い。倪雲林は獅子林の絵を描いただけ。それも陳汝言との合作である。ただこの絵が有名になったせいで倪雲林の名前と獅子林が結びつけられるようになっただけである。
 江南庭園史を知らないのだろうか??

 また、現在の獅子林庭園自体、一度荒廃していて、元時代の名残は奇石怪石を積み上げた仮山にかろうじて残っているだけであり。建築や全体構成は清朝の庭園である。

2.18頁。日本の天皇の 諡号 つまり「後醍醐天皇」などが、光孝天皇(884−886)以後途絶え、江戸後期 光格天皇(1779-1817)以後復活したというような記述がある。そうすると、歴史上有名な天皇の名前、宇多天皇、醍醐天皇、一条天皇、白河天皇、後白河天皇、後醍醐天皇などなど、皆、江戸後期につけたことになる。
 この件は重大なので、調べてみる必要がありそうだ。
 ただ、いくらなんでもそれはないだろうと感じている。ただ、仁徳天皇陵が江戸時代の認定であるというような例もあるからね。

 日本では貴人の本名をできるだけ言わないようにして、あだ名や間接的な呼び方をするという習慣がある。御門とかXX殿(邸宅名)とか駿府とか黄門とか堀川大納言とかね。本名そのものはもとより諡号ですら文献で使わないことが少なくないのだが、それでもねえ。


posted by 山科玲児 at 08:38| Comment(2) | 日記

2023年03月04日

刀と太刀

景光P1100454.JPG石田正宗 刀 (1).JPG


現在の東京国立博物館1F  刀剣の展示
https://www.tnm.jp/modules/r_exhibition/index.php?controller=item&id=6946

では、例外的なくらい「刀」が多く、「太刀」が少ない。
「刀」と「太刀」の区別は、上のように刃を上にしておくのが「刀」,下にしておいているのが「太刀」である。
腰につけるときも同じ向きだからぬくときも刀は上から太刀は下からになる。
 あれ、それじゃ青竜刀は「太刀」なのかな??
あまり刀剣に関心がない当方なんかは、、逆におけば同じなんじゃね?とも思うが、やはりつくりが違っているのだろう。

今回は、「正宗」として石田三成から結城秀康に移ったとつたえられる「刀」が展示されている。

東京国立博物館の刀剣展示では、太刀が多くなりやすい。なぜなら、保存の良い古い刀剣は寺社に奉納されていたものが多く、奉納刀剣は古式の太刀になりやすいからだろうと思う。また、刀剣の歴史をできるだけ古い時代の例から展示しようと思うと自然に太刀が多くなる。しかし、時代劇やマンガでみる刀剣は刀が多いので、どうしても変な感じになってしまう。
 今回、刀 中心の展示だとなんか安心するところである。


上イメージ

・国宝  太刀  長船景光  1322年 (当方撮影)

・重文 刀 石田正宗    (当方撮影)

posted by 山科玲児 at 07:49| Comment(0) | 日記

2023年03月03日

油そば

油そば.JPG

 東京では「油そば」というのが、けっこうみうけられるようである。
  どうも、もともと 中華人民共和国 大陸での中華麺の食べ方の一種が輸入されたものらしい。
  油分の多いタレが丼/碗の底にあり、麺とトッピングをその上にのせる、食べる人はよくかき混ぜてから食べる。よくかき混ぜないと麺に十分にタレが絡まないのでおいしくない。

  当方が、これを知ったのはたぶんYOUTUBE動画だったと思う。たぶん妙法さんの中国の麺料理紹介ではなかっただろうか? そして、はじめは桂林米粉 というのが記憶に残っていて、博多で山水家という店で食べたりしたものだ。どうも今、この店 休業かなくなってしまったようだ。


2019年12月03日 桂林米粉
http://reijiyamashina.sblo.jp/article/186875718.html

 その後、忘れていたが、東京で「油そば」という看板をホテルの近くで観たのでどうも気になっていた。
  油楽町:東上野5−1−9 ブルックリン一階
今回食べてみたら、まさに大陸風のそれであった。
 あまり健康的とは思えない食べ物だが、まあ経験としては面白い。
posted by 山科玲児 at 08:18| Comment(0) | 日記

半島には触れない

前、書いた

2023年02月12日  半島三国時代の耳飾
http://reijiyamashina.sblo.jp/article/190172377.html

朝鮮半島三国時代の出土品っぽい耳飾り2対は、実は偽物だった、ということを知った。

 あ、私は朝鮮半島ものには、触らないほうがいいな、鑑識がまるでないと実感した。
posted by 山科玲児 at 05:47| Comment(0) | 日記

2023年03月01日

二日間やすみ

3月1日・2日 休みます。
posted by 山科玲児 at 04:59| Comment(0) | 日記