2023年03月06日

天皇の名前

大日本史.jpg


中野 美代子 ,  その政治の図像学 乾隆帝 (文春新書) 新書 – 2007/4/20
18頁。日本の天皇の 諡号 つまり「後醍醐天皇」などについて、
「天皇号そのものも消滅していたことも記憶しておくべきだろう。すなわち光孝天皇(884−887在位)以後は途絶えていた天皇号が、兼仁上皇の死に際し、かれに光格天皇(1779-1817在位)なる諡号を贈ることにより、ようやく復活したわけである。」
という文章がある(数字をアラビア数字に変えた外は原文のママ)。

これでは。あたかも、歴史上有名な天皇の名前、宇多天皇、醍醐天皇、一条天皇、白河天皇、後白河天皇、後醍醐天皇などなど、皆、江戸後期に勝手につけたことになるような誤解ミスリードをさせる文章である。たしかに「後白河天皇」という固有名詞はなかったし、水戸学の大日本史(イメージ)あたりから出た固有名詞だったかもしれないが、「後白河法皇」や「後白河院」は「追号」としてあったはずである。

というか、光孝天皇〜光格天皇の間の天皇58人(南北朝をどう数えるかで違うが)のうち、在位中の崩御は1/3未満の十数人である。他は皆、譲位している。譲位なら薨去したときは天皇ではないので「XX院」とかになるからだろう。また病気したときに、回復と万一のときの極楽往生を願って譲位出家するということも多かったのではないか。したがって法皇として薨去することも多かったはず。後白河法皇はそうだしね。

 また、この譲位というのが崩御直前に急いで行われることも多かったようである。これは天皇として崩御すると宮殿が死穢の汚れということになって移転することになったり、葬式や大喪などが大変で、政務が長期中断したりするので、それを避けることと、生前に跡継ぎを決めたという形にしたかったということもあるのだろう。


posted by 山科玲児 at 07:26| Comment(0) | 日記