2023年04月24日

来禽館十七帖の残本

十七たぶん來禽館7.JPG   P1040484.JPG

2021年03月04日 来禽館十七帖 原石
http://reijiyamashina.sblo.jp/article/188455223.html

を書いたが、
どうも、上イメージの十七帖がその一部の拓本らしい。
簡体字で印刷題箋があり、日本人の1983年の日付印が押してあった。ネットで検索してでてきた中国語文献による、「文革中に地中に埋めて隠した。。。。1980年に文物調査をしたとき、再発見し、けいトウの子孫が国家に寄贈した」
という年代と事情によくあっている。
実は、このような装幀の拓本は1980年代に中華人民共和国から多数輸入されていたが、殆ど全てが粗悪品で、偽物や粗悪な翻刻重刻だらけで、どうしようもないものばかりであった。当時つかまされた人も多かっただろう。ただ、これは偶然、ちょっと違うかもしれない。

でわかるのだが、もともと4枚の拓本だったもののようである。




posted by 山科玲児 at 06:27| Comment(0) | 日記

2023年04月23日

ザ・チョコレート 比較

ザ チョコレート.JPG



明治製菓のザ・チョコレート
三種食べ比べてみました。ブラジルだけは売り切れていたので、買えなかった。
ヴェネズエラ、とペルーがかなり個性的です。
ドミニカは普通でした。

ペルーはCPTPP参加国でもあり、今後継続的輸入が期待できるのではないだろうか。

posted by 山科玲児 at 09:24| Comment(0) | 日記

日本語版wikipediaのデューラー項目

1500年前後、ドイツ・ルネサンスの画家 アルブレヒト・デューラーについては、あまり体系的徹底的に研究したことはない。ドイツ語ができないこともあり、敬して遠ざけているという状態である。それでも、あまりひどい話では、コメントしたりしてきた。

デューラーはベルリンのヘールトヘンの絵を観たのか?

https://reijibook.exblog.jp/29543988/



だから、ウィキペディア項目もみてもいなかったのだが、最近みたら、かなりひどかった。
ヒエロニムス・ボス項目もひどいのだが、これは、もとの英語版もひどいので、手が付けられない状態で放置しているのだ。しかし、デューラーの場合、日本でも古くから本もあるし、岸田劉生が尊敬したりして知名度もあるのに、これはどういうことだろうか??

posted by 山科玲児 at 05:13| Comment(0) | 日記

2023年04月22日

デューラーとメムリンク 再

memling durer.jpg

リューベックのメムリンク晩年の祭壇画に言及した際に、この祭壇画にアルブレヒト・デューラーとその恩師ミカエル・ウォルゲミュートの肖像が挿入されているという説を、また思い出した。

2020年05月02日 デューラーとメムリンク
http://reijiyamashina.sblo.jp/article/187441235.html

前書いてからURLが変わってしまっていたので、URL訂正した2007年の稿を再度掲示する。


****  記  *****

memling durer.jpg

 2007.07.22

十字架の下の3人

ハンス=メムリンクについて、1998年に書いた英語の文
を、書き直していたら、メムリンクとデューラーの関係を示唆する奇妙な証拠を思いだした。 Eversが1972年に、リューベックの聖アンナ教会のメムリンクの大作「受難図」(1491)の中に、若きアルブレヒト=デューラーとその先生 ミカエル=ウォルゲミュートの肖像を見いだした。この絵は複雑煩雑で、人物が多いのだが、中央画面左下、改心した盗賊の十字架の下に3人の男がいて、その2人がどうみてもデューラーとウォルゲミュートにみえる。2人が別々の作品にでるなら、他人のそら似ということもあるだろうが、同時にくっついて表れているので偶然ではないだろう。 Eversは、3人をウォルゲミュート、デューラー、メムリンク自身と推定している。1490年ごろのデューラーはウォルゲミュートの工房での徒弟修行を終えて遍歴修行の旅にでている。当然、当時の絵画の中心のひとつであったブリュージュやブラッセルにも行っているだろうから、メムリンクの工房でjourneymanとして助手として臨時に働いてもおかしくはない。祭壇画の中のウォルゲミュートの肖像はデューラーがもっていた手控えのスケッチ帖から再現したのだろう。ファンアイクの肖像制作も詳細なスケッチをもとにして本人がいないところで制作されたらしいからこのような制作方法は当時ではざらにあった。
また、この絵は晩年作(1491)のせいか、様式的には他のメムリンク作品とはかなり異なっていて下絵構想から助手たちとの共同制作ではないかと思われるものがある。またドイツ市場を意識したのか形式・人物像もドイツ的でなかにはほとんどデューラーの登場人物のような感じがする顔もいる。女性の優美さが、内面右翼・最外翼の受胎告知以外にあまりないのが、メムリンクとしては異例である。
 それに、ミカエル=ウォルゲミュートはひょっとしたら、メムリンクと直接間接に関係があったかもしれない。彼が描いた油彩画はメムリンクやクリストスのものによく似ているので、フランドルで学んだ可能性がある。ウォルゲミュートとメムリンクは殆ど同世代である。メムリンクの故郷のゼーリゲンシュタットはニュールンベルグに近く、ニュールンベルグからライン川沿いにオランダへ行く経路の途中にある。当時の遍歴修行といっても親方が紹介状などを書いていくのではないだろうか。一種の就職・アルバイトなのだから、治安が悪かった当時みもと不確かな人を雇うような無謀はしないだろう。デューラーもウォルゲミュートの紹介状をもって旅したのではなかろうか。
あるデューラーファンの人は、この当時デューラーがどこにいたのかはよくわかっていないのだそうで、興味深いと以前言っていた。
ただ、学会で完全に認められているわけではないらしいが、面白い。
 左が祭壇画の部分拡大、右がデューラー作 ミカエル=ウォルゲミュートの肖像(ただし、ずっと年取ったときのもの)

Das Passionsretabel der Familie Greverade von Hans Memling
https://st-annen-museum.de/memling-altar-digital-story

Wikimedia
https://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Greveradenaltar


posted by 山科玲児 at 07:51| Comment(0) | 日記

2023年04月21日

ドリル

広告 動画ですが、
なんか、妙に気になる作品です。

大きな鉄のブロックも3秒で穴あけ
https://youtu.be/R3I3RNDmAkQ
posted by 山科玲児 at 09:09| Comment(0) | 日記

ドイツの複雑な祭壇画

unterlinden visitor guide 1982.jpg
1982年のコルマール  ウンターリンデン美術館のvisitor's guide裏表紙


山田五郎氏の西洋名画解説動画で、
 【傷だらけのキリストの謎】ドイツ絵画の超重要作!️イーゼンハイム祭壇画とは
https://youtu.be/YyHmLNPac_s
というのがあり、そのなかで、この祭壇画の何重にもなった複雑な構造(イコノロジーではなく現実の家具としてそうなっている)ものを模型で解説してました。

ただ、現実のイーゼンハイム祭壇画はバラバラに分解されて3セットで展示されていますから、そこで、更に混乱した人もいたようですね。現在の展示環境はこんな感じ。。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Isenh2r%2B1r.jpg

それくらい、この「祭壇」は実物みないとわかりにくいものです。それで、もとのままの形を保っている祭壇画の例として、
ハンス・メムリンクの「リューベックの祭壇画」をあげてみます。これについては、数年前に、良いサイト写真を発見してようやく、どういう構造になっているかわかりました。

lubeck  Memling Alterpiece
https://st-annen-museum.de/memling-altar-digital-story

オランダ・ベルギー・フランスは三翼祭壇画(トリプティック)の観音開きで終わりなので、なんで、こんなに何面もあるのか、わからないんですね。まさに???でした。

リューベックの聖アンナ聖堂博物館には、他にもこういう祭壇がどっさりあるようです。
Lubeck St Ann Museum 3D Digital  Descover
https://www.die-luebecker-museen.de/rundgang/st_annen/output/St_Annen_Remter_out_HTML5.html

イーゼンハイム祭壇画は。1982年以前に現在のようにバラバラになってました。オリジナルの形で展覧するのは、係官が少人数グループあいてに御開帳するというような、昔昔(1980)ゲント祭壇画でやっていたようなことしなきゃならないので無理ということでしょう。
作家:ユイスマンスがコルマール訪ねたのは1900年ごろじゃないかと思いますが、そのころは、どうやっていたんでしょうか?
image source::  Christian Heck,Unterlinden visitor's guide、Editions S.A.E.P. Colmer, 1982


posted by 山科玲児 at 06:23| Comment(0) | 日記

2023年04月20日

大勝軒 男客だけ?


大勝軒 (1).JPG大勝軒 (2).JPG

つけ麺ブームの火付け役の名店として有名な
東京の大勝軒で修行した最後の弟子のかたがやっている店だというので、
何度かいった
長崎大勝軒である。


料理は悪くないし、接客も親切でよかったのだが、

なぜか、男性客ばかりだったのは、不思議。

タグ:長崎 大勝軒
posted by 山科玲児 at 07:05| Comment(0) | 日記

アール・ヌーヴォーのガラス  動画

九州国立博物館の特別展
『アール・ヌーヴォーのガラス - ガレとドームの自然賛歌 -』
の公式動画がでてました。
特別展『アール・ヌーヴォーのガラス - ガレとドームの自然賛歌 -』ご紹介!
https://youtu.be/JRRt8K2HFpI
posted by 山科玲児 at 06:14| Comment(0) | 日記

2023年04月19日

ヒューホー・ファンデア・フース特別展 一対の絵

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ヒューホー・ファンデア・フースの特別展

前オークションででたときに注目した 十字架降下の作品が 展示されていた。、

https://www.sothebys.com/en/buy/auction/2021/master-paintings-sculpture-part-i/the-descent-from-the-cross

これもまた麻布*テンペラで、ひどい状態のようにみえる。
この作品は対になる1作品が昔からよく知られている。
 ベルリン絵画館所蔵
https://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Deposition_Diptych_by_Hugo_van_der_Goes?uselang=ja
そこで、いうまでもなく、今回は並べて展示されているようだ。こういうのは研究者的には良いことだと思う。
 この2作は1つの画面が切られたのではないか?という推測もあり、展覧会解説にも書いてあるが、おそらく違うと思う。

少し後輩のブリュージュのメムリンク作とされるものに、このフース作品を模倣してさらに別趣を出した作品1対があり、これはスペイングラナダのカピラ・レアルにある。
https://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Granada-Diptychon?uselang=ja

さらに、このコピーがブラジルのサンパウロにもあるようだ。
これもまた1対なのだから、メムリンクが模倣した時点で既に1対だったのだろうと推測できるからである。
Memling-diptych-with-the-deposition-2083.jpg

posted by 山科玲児 at 08:09| Comment(0) | 日記

2023年04月18日

ヒューホー・ファンデア・フース特別展 エラスムスハウス

hugo goes  erasms house.JPG


ベルリンのヒューホー・ファンデア・フースの特別展
https://www.smb.museum/en/exhibitions/detail/hugo-van-der-goes/


にブリュッセル郊外アンデレヒトのエラスムス・ハウス所蔵の作品がでていた。

エラスムス・ハウス
https://www.erasmushouse.museum/en/

当方、エラスムス・ハウスにいったのだが、これを観た記憶がない。一方、エラスムス・ハウスで買った図録にはのっていたので、あまり良い作品でなかったので記憶にないのか、たまたま展示されていなかったのかもしれない。図録に大きなカラー写真が入っていたのでデジタルイメージつくってみた。。
Source;
     J.P. VANDEN BRANDEN,  ERASMUS HOUSE ANDERLECHT,  LUIDON, 1995, GENT
posted by 山科玲児 at 07:45| Comment(0) | 日記