2023年04月02日

ファン・エイク本を読む その3 「泉の聖母」のコピー



van eyk ny.jpg


Till-Holger Borchert の英語版 Jan van Eyck は2008年版を改訂した2020年出版
Till-Holger Borchert, Van Eyck (Basic Art Series) TASCHEN Books,2020
https://www.taschen.com/pages/en/catalogue/art/all/43102/facts.van_eyck.htm

を読みながら、コメントを書いていく。

アントワープ王立美術館の至宝の一つ、
ヤン・ファン・エイクの「泉の聖母」(額縁こみで19x12.5cm)は葉書大ぐらいの小さな作品だがオリジナルの額もついていて保存が良い。何度も鑑賞した作品だ。昔ここでモノグラフを買ったこともある。
http://closertovaneyck.kikirpa.be/verona/#viewer/rep1=2&id1=d4f8ff82a0d58ab36b8645c1bb925114

この本によると、どうもニューヨーク個人所蔵で、かなり良いコピーがあるようだ(21.3x17.2cm)。しかも、その周囲がなんかおかしい。おそらく凸型の祭壇の上部を切断、周囲の額をとりはずした形なのかもしれない。
前述したアントワープで買ったモノグラフにはもっとよい写真があったので上イメージにした。
まわりは、額をはずした状態で、裸の木材がみえている。

フリックで特別展があったとき展覧されたようだ。
https://www.frick.org/exhibitions/charterhouse_bruges/5
が、そのときの画像では周囲は撮影していないようだ。

また、このコピー、原画より大きい。書道の臨書でも原本より大きくなりがちだが、そういう現象なのだろうか??

さらに、van eyk研究サイトにはこのコピーを拡大鑑賞できる。

ただ、こういう写真で見失いがちなのがサイズがコピーのほうがずっと大きいという事実である。

ヒエロニムス・ボスの場合は、個人所蔵の場合のコピーの類は、あまりよくないものが多い。それなのに。ボスより80年ぐらいも古いファン・エイクの作品で、逆にこのような良いコピーがNY個人蔵であるという現象は、どういう意味があるのか??


posted by 山科玲児 at 09:04| Comment(0) | 日記

印刷本と写本

le livre francais (3).JPG

 Robert Brun,  Libres  Francais  P.U.F. 1968
 は表紙のアンドレ・ドランのラブレー本挿し絵が楽しい本ではある。
「フランスの本」というタイトルであるが、実は終始、印刷本の歴史の話である。インキュナブラから二〇世紀までである。写本のことはほとんど言及がない。
 冒頭の序文に「印刷術こそが文明の証」というような拡張高い文章が展開されている。

 ただ、東洋の印刷術のことも考えてみたり、グーテンベルクの聖書が、写本時代の豪華な大型聖書の模倣であったことを考えると、
 本当にそうなんだろうか?
という疑義がわいてくる。

 大全集みたいな大規模な本や四書五経のセットなどは、正本、基準本として配られたという目的があったのではないか。度量衡の標準器を配るようなものである。

印刷本の場合、一度に印刷したセットは皆同じであり、過ちもまた同じであり、一度に制作したXX部で相互に違いがあるということは、写本に比べて著しく起こりにくいからである。
 したがって 古い写本で、正しい印刷本から写した、なんて奥書があるのも少なくない。
 江戸時代には、貴重希少な書物の写本はともかく、ありきたりの教科書なんかは、写本のほうが印刷本より安かったのではなかろうか。
  実は昭和ごろまで、教科書を写したり抜き書きして学ぶというような学習習慣が一部には残っていた。
posted by 山科玲児 at 07:43| Comment(0) | 日記