イメージは、台北 國立故宮博物院の薄ーーい英文雑誌の表紙で、甲骨文字刻字を実験的に制作してみたという号である。あくまでも本の表紙ですよ。
National Palace Museum Bulletin. No. 1-2,1983
同様な実験は、日本でもなんども行われていた。別府大学でも、牛の骨で実験されていた。生ではだめでかなり前処理が必要なものらしい。
甲骨学60年という董作賓の著書がある。
甲骨学六十年, 董作賓著 加賀万章訳 、アジア文化総合研究所 、昭和57年再販
王懿栄と劉鉄雲によって発見・認識されたのは1899年1898年だから、もはや、満で123年たった。
それなのに、なんと甲骨文字についての認識は乏しいことか。
某有名YOUTUBEチャンネルで、甲骨文字が、もっぱら人骨に刻字したかのように話していたので仰天してしまった。
亀の腹甲 (いわゆる亀の甲らの反対側)か、牛などの大きな肩甲骨
に彫られているものだという認識すら乏しい。無論、希に人頭刻字の破片なんかはあるが、大多数は違う。鹿頭刻字などと同じくトロフィーやドクロ杯や戦勝儀式のような意味あいだったもので、特例だろう。
山田正紀の「崑崙遊撃隊」で、老人の隠者が、骨を焼いて登場人物の運命を占う場面があるが、そういうのが原形だったのかなあ、とも思っている。
王懿栄と劉鉄雲によって発見・認識されたのは1899年1898年だから、もはや、満で123年たった。
それなのに、なんと甲骨文字についての認識は乏しいことか。
某有名YOUTUBEチャンネルで、甲骨文字が、もっぱら人骨に刻字したかのように話していたので仰天してしまった。
亀の腹甲 (いわゆる亀の甲らの反対側)か、牛などの大きな肩甲骨
に彫られているものだという認識すら乏しい。無論、希に人頭刻字の破片なんかはあるが、大多数は違う。鹿頭刻字などと同じくトロフィーやドクロ杯や戦勝儀式のような意味あいだったもので、特例だろう。
山田正紀の「崑崙遊撃隊」で、老人の隠者が、骨を焼いて登場人物の運命を占う場面があるが、そういうのが原形だったのかなあ、とも思っている。