2023年04月27日

羅振玉自伝

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羅振玉 遺影(ref)
羅振玉自伝
とにかく、前半はひたすら借金のことであり、若いころから、金に苦労した人であることがわかる。

後年、金に汚いようにいわれたのもそういう労苦が、
反映しているのではなかろうか??
あとについてる扶桑両月記、扶桑再遊記、五十日夢痕記という3篇には、文物の集散売買、保存などについて、多くの有名人がでてきて非常に興味深い記述がある。

羅振玉が偽物を売ったという非難は、誹謗中傷とはいえなくても、当時の環境を考えると2つの面で情状酌量の余地はあるのではなかろうか?

・「売った」ということでは、当時、羅は日本に家族や弟子とともにきたのであり、二十人という大所帯だった。しかも文物の売りくい、が主要な収入源だった。

・「偽物」という件では、当時の中国書画 拓本法帖の鑑定・美術史研究のレベルを考えると、それほどひどいわけでもない。本物も売っているし、現在では「偽物」「間違い」といったほうがいいものも売っている。羅振玉の場合、自分で跋や題を書いて称賛評価した証拠を残してしまっているので、目立ってしまった、ということがあるだろう。


羅振玉の場合、一番有名なまちがいは、澄清堂帖の拓本を讃岐の大西行禮氏に売ったときだろう。戦前から、疑問におもわれ、現在では、清、道光年間の重刻本であるとわかっているものを
「南唐 澄清堂帖」と称し、長文の賛美する をつけて高価に売った。
大西氏は喜んで、自らを帖祖斎と号し、、豪華な複製本まで作った。

これは、いただけない、、

一方、日本にある羅振玉の手をへた名品には、台東区書道博物館にある「張遷碑」拓本がある。これは、たぶん世界でも一番良い拓本である。

Ref 書えん 4巻9号、1940、8月、三省堂、東京
posted by 山科玲児 at 07:37| Comment(0) | 日記

沙漠の隠修士

恐ろしい病〈麦角病)と救いの絵【イーゼンハイム祭壇画】後編 (該当箇所    タイムスタンプ)
https://youtu.be/bFxPkrriPDI?t=1042
によって、はっと気がついたのは、ピーター・S・ビーグルの「心地よく秘密めいたところ」のカラスは、隠修士聖パウルスのカラスだったことだ。

エジプトで隠者修道士・沙漠で修行する修道士という宗教者たちが発生し盛行したのは事実であるが彼らの経済的基盤生活物資の基盤は何だったのだろうか?
洞窟や沙漠、柱頭の上で修行した人々の食糧や水は誰が供給したのか?

伝説のように、すべてが神様の奇跡で食料を得たわけではない。

4世紀の、ポントスのエウァグリオス(Euagrios Pontikos、345-399) による「修行論」は修行者の心得や方法論を説いた論で、「七つの大罪」の原型を書いていることで有名だが、その中に、
「縄を編んだりする手仕事をする」
「支援者たちがいる」
という2点の記述がある。
 そうか、やはりそれがないと柱の上で何年とか修行できるはずないよなあ。

Ref 『修行論』(Practikos) - (中世思想原典集成3)、翻訳、解説 佐藤 研。
posted by 山科玲児 at 05:37| Comment(0) | 日記