2023年04月30日

フラメンコ

久しぶりにフラメンコ
Estrella Morente
のステージ動画を視聴して再度感銘をうけた。なんか古代の力を感じる。

Estrella Morente - Tangos del cerro
https://youtu.be/L78zYWT0D7w
posted by 山科玲児 at 12:49| Comment(0) | 日記

「蘭亭序」はなぜ『文選』に採録されなかったか


「蘭亭序」はなぜ『文選』に採録されなかったか、
というテーマは、たぶん昔、故:福本雅一氏の「蘭亭嫌い」で読んで、この件だけはもっともだとは、思った。
で、それについての中国人の論文があったので、紹介する。

東アジア研究(大阪経済法科大学アジア研究所)第32号、2001年5月、105-109
 祁 小春
「蘭亭序」はなぜ『文選』に採録されなかったか
file:///C:/Users/yamashina/Downloads/asia_32_07.pdf
まあ、これはもっともだとは思うが、それは昭明太子の美学にはあわなかった、ということだろうと思う。
『文選』の最初には、「賦」というカテゴリーの文章が選んである。左思の三都賦とかである。これがまた豪華絢爛、技巧の限りを尽くしたような文章と文字の粋である。
 逆にいえば、内容より技巧の誇示に走った文章である。これらは、とくに日本人には親しみ難い文章だと思う。

蘭亭序が親しまれているのは、むしろ口語的な文章だからだろう。技巧的には素朴で出来の悪い文章だからだろう。その分読みやすく、真情がこもっていて、日本人にも親しみやすいということである。日本人に親しまれている陶淵明の文章と比べてすら口語的で、ある意味率直愚直である。陶淵明作品が『文選』に入っており王羲之作品が入ってないのは、まあもっともだと思っている。










posted by 山科玲児 at 11:06| Comment(0) | 日記

羅振玉の題字


luo.jpg
羅振玉自伝を読んでいて、羅振玉の書として博文堂刊行影印の 清初の画家 キョウ賢 の山水画冊の題字をあげたくなった。

 これは、2010年に既に紹介したものである。
羅振玉の隷書
https://reijibook.exblog.jp/13184716/

 ところが、この題字、なんと今どこにあるかわからないのである。存在してるかどうかさえ不明だ。

山水画冊そのものは、米国カンサス・シティーのネルソン・アトキンス・ギャラリーにある。今はバラバラにして軸装されているようである。ところが、題字はなんと別の題字がセットになっている。しかも同じ羅振玉の書である。
https://art.nelson-atkins.org/objects/870/frontispiece-of-luo-zhenyu-later-commentator;jsessionid=8215F2F4AEFB1217B21BE935937799EC?ctx=2cd4792e-d9c7-4954-a08d-df81124425bc&idx=1
これはいったいどういうことなんだろう。

どうも、これもまた出版のために書いた題字であり、画冊そのものにつけられたわけではなかったもののようなのだ。

近代のコロタイプ影印では、こういうことがままあるようだ。
同じ博文堂出版の黄庭経の羅振玉題字もそうだった。
http://reijiyamashina.sblo.jp/article/190049736.html

しばしばある呉昌碵の題字などもどうもそれらしく、書画本体についていないことも多い。そうなると、題字だけ、どこかに保存されているのかもしれない。

伊藤氏が、確か近藤雪竹が出版物のために書いた題字をもっていると、雑誌にかかれたことがあった。

一般の本でも題字を書道の心得のある人や尊敬する先輩に書いてもらうことは多いと思うのだが、その題字作品肉筆は、どこにいったのだろうか??
 案外、出版社や編集のところで粗末にあつかわれて消滅したものもあるのかもしれない。
posted by 山科玲児 at 09:47| Comment(0) | 日記