ベルリンの ヒューホー・ファンデア・フースの世界最初の特別展
https://www.smb.museum/en/exhibitions/detail/hugo-van-der-goes/
の看板作品モンフォルテ祭壇画ですが、Monforte Altarpieceについて2点
https://en.wikipedia.org/wiki/Monforte_Altarpiece
https://www.smb.museum/en/exhibitions/detail/hugo-van-der-goes/
の看板作品モンフォルテ祭壇画ですが、Monforte Altarpieceについて2点
https://en.wikipedia.org/wiki/Monforte_Altarpiece
1.もっと大きかった
モンフォルテ祭壇画ですが、この祭壇画、そうとう大きい。
横幅2m39cm もあります。
ウフィッチのポルテナリ祭壇画中央部は更に大きいのですが、こちらもかなり大きい。
それでも上部をみるとどうみても切り縮められたあとがありますから、もとはもっと高さのある作品だったはずです。
古い模写や模倣作をみると、どうも、本来はもっと建築部分が大きい作品だったのではないかと思います。
ロンドン。ナショナル・ギャラリーにあるホッサールトの聖誕 三王礼拝
https://www.nationalgallery.org.uk/paintings/jan-gossaert-jean-gossart-the-adoration-of-the-kings
のように大きな建築に囲まれた構図 であったのではないかと推測されています。とはいえ額縁枠に左右両扉の金具のあとが残っているので、横幅は現在のまま、高さが高い作品だったようです。
そうすると、
ホッサールトの作品もモンフェルト祭壇画の影響だということになり、
ゲント美術館にある
ヤン ビーアの三王礼拝
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Jan_de_Beer_001.jpg
モントリオールの祭壇画
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Jan_de_Beer_Annunciation2.jpg
もモンフォルテ祭壇画の影響下に成立したことになります。
こういう大建築を聖母子や聖人画の背景におく構図は、十六世紀に流行したもので、どちらかというとイタリアに影響されたロマニストの作品の特徴とされていたものですが、
ひょっとしたら、Hugo van der Goesのこの作品を嚆矢としているのかもしれません。
2.スペインがもっていた
このおおきなHugo van der Goesの祭壇画、十九世紀にはスペインの小さな町
Monforte de Lemos
ウフィッチのポルテナリ祭壇画中央部は更に大きいのですが、こちらもかなり大きい。
それでも上部をみるとどうみても切り縮められたあとがありますから、もとはもっと高さのある作品だったはずです。
古い模写や模倣作をみると、どうも、本来はもっと建築部分が大きい作品だったのではないかと思います。
ロンドン。ナショナル・ギャラリーにあるホッサールトの聖誕 三王礼拝
https://www.nationalgallery.org.uk/paintings/jan-gossaert-jean-gossart-the-adoration-of-the-kings
のように大きな建築に囲まれた構図 であったのではないかと推測されています。とはいえ額縁枠に左右両扉の金具のあとが残っているので、横幅は現在のまま、高さが高い作品だったようです。
そうすると、
ホッサールトの作品もモンフェルト祭壇画の影響だということになり、
ゲント美術館にある
ヤン ビーアの三王礼拝
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Jan_de_Beer_001.jpg
モントリオールの祭壇画
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Jan_de_Beer_Annunciation2.jpg
もモンフォルテ祭壇画の影響下に成立したことになります。
こういう大建築を聖母子や聖人画の背景におく構図は、十六世紀に流行したもので、どちらかというとイタリアに影響されたロマニストの作品の特徴とされていたものですが、
ひょっとしたら、Hugo van der Goesのこの作品を嚆矢としているのかもしれません。
2.スペインがもっていた
このおおきなHugo van der Goesの祭壇画、十九世紀にはスペインの小さな町
Monforte de Lemos
https://en.wikipedia.org/wiki/Monforte_de_Lemos
にあったものです。
なんか名前からイタリアのウルビーノかマントヴァあたりにあったもののように先入観で思ってましたが、違いました。
スペインは、ほんとうにこういう初期ネーデルランド絵画の保存庫だったんですね。
これをスペインの略奪とみるのか、ポルテナリ祭壇画のような輸出事業とみるべきか、ベルギー・オランダ本国でのイコノクラスムや戦争をはじめとする大破壊の結果とみるべきかは疑問ですね。
また、スペインへ出張して活躍したネーデルランドの画家もジュアン・フランダースを代表に多かったでしょう。
にあったものです。
なんか名前からイタリアのウルビーノかマントヴァあたりにあったもののように先入観で思ってましたが、違いました。
スペインは、ほんとうにこういう初期ネーデルランド絵画の保存庫だったんですね。
これをスペインの略奪とみるのか、ポルテナリ祭壇画のような輸出事業とみるべきか、ベルギー・オランダ本国でのイコノクラスムや戦争をはじめとする大破壊の結果とみるべきかは疑問ですね。
また、スペインへ出張して活躍したネーデルランドの画家もジュアン・フランダースを代表に多かったでしょう。
これをベルリンが買うとき、スペイン政府のもちだし許可をとったそうですね。そしてボーデとフリートレンダーが推し、ウェルフリーンは反対したそうです。