2023年05月22日

趙孟頫蘭亭十三跋の焼残時期

蘇米斎蘭亭考7.jpg

高橋氏の中国書道史の研究動向というレポートは、なかなか読ませる
https://www.jstage.jst.go.jp/article/shogakushodoshi/2022/32/2022_113/_pdf

そのなかで、東京国立博物館 趙孟頫・蘭亭十三跋が焼けた時期について、同館の富田氏の論文内容を紹介している。

>富田淳「趙孟頫蘭亭十三跋の焼残時期について」(『東風西声:九州国立博物館紀要』第一七号、二〇二二)は、現在、東京国立博物館が所蔵する趙孟頫・蘭亭十三跋の焼残時期について、従来、王連起氏が指摘する嘉慶一三年(一八〇八)から嘉慶一五年(一八一〇)説に対し、銭泳、方濬頤、翁方綱、徐珂らの諸資料を用いて、その時期を更に嘉慶一四年(一八〇九)の七月から九月と限定している。
跋文や諸資料の丁寧な読み込みや膨大な情報の整理によって、旧説を一歩進めており、その姿勢は見習うべき点が多い。


これ、嘉慶8年序の 翁方綱: 蘇米斎蘭亭考の巻七で焼残ということになっている(上イメージ)。とすると、蘇米斎蘭亭考自体が嘉慶8年よりずっと後に増補されたものだということになる。あるいは当方の読み違いか、翁方綱の間違いか??。 当方としてはこれが焼けた時期が何時なのかという点にはあまり関心がないが、蘇米斎蘭亭考の完成時期が絡むこの点はちょっと気になるところだ。

posted by 山科玲児 at 06:26| Comment(0) | 日記