山科玲児の近況とともに、古美術、美術館,長崎市、科学などの話題を書くつもりです。
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2023年06月06日
posted by 山科玲児 at 16:09|
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日記
芝崎みゆき さんの芝崎みゆき、古代マヤ・アステカ不可思議大全 草思社、2010/5/22https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784794217622の138Pに、コパン(ホンジュラス)の王朝の創始者であったクック・モがティカルから来た征服者じゃないかという推測があり、それに関連して「ティカルの男」という石像の背中に「ティカル王のアイーンは後403年と後406年にクック・モという下位の王と〇〇をした」という銘文がある。という話が書いてある。 この「ティカルの男」この本読むずっと前からみた記憶があるのだが、どこでなのか忘却していた。 どうも、古代マヤ王歴代誌 http://www.amazon.co.jp/gp/product//4422215175の45−46Pのようである、背中の銘文には、クック・モの名前があり、なんとこの像の左腕にはシヤフ・カックの軍に殺害されたかもしれない先代王「ジャガーの足」の名前まであるそうだ。ティカルのみならずコパンにも関係する興味津々な資料・文書なのだが、とにかくどこに所蔵されているものでどういう由来のものか?偽物ではないのか? いろいろかんがえていたが、2、3日調べてようやくわかった。 この論文に細かく記述されている。A New Early Classic Text from Tikal - FEDERICO FAhsenhttps://www.mesoweb.com/bearc/cmr/RRAMW17.pdf由来ははっきりしていて、偽物ではない。1968 1988年以前(1979 〜1985)に、グアテマラ国家プロジェクト Jorge Mario Leonによって、ティカルの北グループH 3D-43 というはしっこのところから出ている。高さ50cmぐらいの頭部がない石像である。かなり太った男性があぐらをかいてすわっている。頭部の欠損と背中の穴は、銘文を刻んだ時代より後に行われた破壊のようである。この論文は、まだマヤ文字がそれほど解読されていないころの論文なので、この背面文字をよく読めていないように感じる。 英文Wikipedia の記述 などは、クック・モがティカルから来たということを確信したような書きぶりだが、一方この「ティカルの男」の銘文については詳細を知らないらしく「A text from Tikal
(あるティカル由来の文書によると)」とぼやかしている。ただこのクック・モがコパンの征服者本人なのかには多少疑念がある。この論文では現地の博物館にあるようである。ただ、その後、中央博物館に移ったということも考えられる。あまり大きくない地方博物館にあるせいで、あまり注目されないのかもしれない。実は、背面銘文のもっともきれいな写真は畠山崇氏が撮影していて、ref1にのっているのだが、奇妙なことにこの雑誌には、その写真の石像が何でどこで撮ったのか何も書いてない。従って上記英文論文で確認した。今回、痛感したのは中途半端に古い考古学発掘の場合、それも大規模でもなく大発見でもない場合、ネットで検索することが意外なほど難しいことである。現代の発掘の場合、たいしたことで無くても、動画ができ、容易に知ることができるのに、1960年代70年代のことを知るのが難しかったりするのだ。今回の特別展「古代メキシコ −マヤ、アステカ、テオティワカン」https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=2565https://mexico2023.exhibit.jp/には、出展されていない。今回は、メキシコにあるものだけで、これはグアテマラのティカル遺跡の現地博物館にあるものだからだ。ref1 たて組ヨコ組 第48号 特集:マヤ文字の謎 著者 文:八杉佳穂 撮影:畠山崇 出版社 モリサワ 刊行年 1996/12
posted by 山科玲児 at 07:57|
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