2014年11月12日

蘭亭八柱第一第二第三本はどこにあったのか?

蘭亭八柱第三.jpg

  1970年代に、急に北京から、蘭亭序の唐模本が紹介されるようになり、乾隆帝コレクションにあった八柱第一、第二、第三の墨跡寫真が普及した。一部は香港経由の紹介もあったと思う。
 八柱第三の墨跡(神龍蘭亭 イメージ)は、近年の江戸東京博物館での特別展でも公開され人気を呼んだらしい。

 前々から疑問に思っていたのは、この三本の墨跡は辛亥革命以後の60年間どこにあったのだろう??
ということである。現在は北京故宮博物院にある。しかし、1933年に故宮文物は北京を離れその後は四川省へ疎開したはずなのである。もちろんその前にラストエンペラー溥儀の多量のもちだしがあって、それらの大部分は満州の長春の満州帝国宮廷に保管されていた。そうすると、四川省か長春にあったということになる。
  ところが、昭和16年(1941年)に西川寧氏が泰東書道院の雑誌に八柱第一と第三の寫真を発表し、それがその後1960−70年代の中華人民共和国政府発表まで、日本の書道界での種本になっていたのである。その写真はいったいどこで撮ったものなんだろうか? 四川省へいってるとしたら7年も前に荷造りしているから寫真がとれたのだろうか? 長春の倉庫は、溥儀ファミリーの私的財産あつかいで学者には閉ざされていたらしいことは、

2011年08月20日
ラストエンペラーはエゴイスト
http://reijiyamashina.sblo.jp/article/47449115.html

で書いておいた。

 また、この3巻の墨跡については、1950年以降、現在の遼寧省博物館(当時の東北博物館)でラストエンペラー等からの没収品を整理していた楊仁ガイも記述していない。

 そうすると、これらも実は北京の紫禁城に残っていたのではないか?という疑念がでてくる。
2012年01月16日に書いたもうひとつの故宮博物院 再
http://reijiyamashina.sblo.jp/article/53119328.html

のような事情があったのかもしれない。

ニセチャイナ―中国傀儡政権 満洲・蒙疆・冀東・臨時・維新・南京 (20世紀中国政権総覧http://www.amazon.co.jp/dp/4784511156

が解説している 中華民国臨時政府 の教育部のもとで管理された組織があったのではなかろうか。

ただ、1945年8月長春の宮廷が略奪されたときに破られたらしい米フツのメイ谿詩巻の寫真揃えがある。とすると長春でも羅振玉などの関係で寫真をとるということもあったのかもしれない。
posted by 山科玲児 at 08:52| Comment(0) | 2014年日記
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