2015年02月28日

モルドバとシオン議定書


20世紀初め、1903年ペテルスブルグの新聞 Znamyaに発表された 偽文書 トンデモ文書、
「シオンの長老の議定書」は、その後の反ユダヤ主義に大きな影響を及ぼし、ナチスのホロコーストにもつながっている。
 この文書は、実は 、モルドバ(当時はベッサラビアと呼んだ地域)人の G.V. Butomi の作品である可能性が高いそうである。Fake? The Art of Deception, British Museum edited by Mark Jones,1990, University of California Press, Berkleyによる。
 このモルドバというので連想したのが、ユダヤの陰謀論を日本で説いている論客 馬淵氏が、もと駐モルドバ大使であったことだ。どうもモルドバにはもともと強烈な反ユダヤ感情があってそれに影響されたのかもしれない。
 まあ、アメリカのエージェントがウクライナでとんでもない悪さをしたのは事実なんだが、馬淵氏がモルドバ大使で、当然ながらモルドバに長くいて現地の人とつきあいがあった、ということと、「シオンの長老の議定書」がモルドバ発祥ということがどうもひっかかる。
 もっとも「シオンの長老の議定書」自身は、1864にMaurice Jolyがブリュッセルで刊行したパンフレット「モンテスキューとマキャベリの地獄での対話」と1875年にSerb Osman Beyによってウィスバーデンで刊行された反ユダヤ主義パンフ「ユダヤ人による世界の征服Die Eroberung  der Welt durch  Die Juden」をもとにしたものであるが、種本の2つはそう普及せず、これが大きな影響をもったので罪が最も重い。G.V. Butomiは3年後1906年に自ら刊行もしている。

 実は、多数ある偽反日文書の白眉に「田中上奏文」というのがある。これは中国国民党がでっちあげたものらしい。1929年12月、南京で発行されていた月刊誌『時事月報』が初出。高官だった田中義一が天皇に上奏した世界征服計画というもので、年代も官位も形式もメチャクチャで、日本語の原文すらないという偽文書・怪文書だが、米国での反日プロパガンタに使われた。




posted by 山科玲児 at 09:42| Comment(2) | 2015年日記
この記事へのコメント
ユダヤ陰謀説に必ず出てくる、ユダヤ教異民族国家ハザールて、ウクライナの辺でしたかね?モルドバの隣ですし。
Posted by 臨夏 at 2015年03月01日 03:07
>ユダヤ陰謀説に必ず出てくる、ユダヤ教異民族国家ハザールて、ウクライナの辺でしたかね?

PUTZGERの歴史地図でもウクライナ南部クリミアを含む地域です。
8世紀半ばには、支配層はユダヤ教に改宗していたらしいですね。

ロシアのウラジミール公が宗教を選ぶのに、カトリック・ギリシャ正教・ユダヤ教などを調査させたという逸話が残ってますが、この時代はそういうことが流行っていたんですかねえ?よくわかりません。
Posted by 山科 at 2015年03月01日 21:09
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