2015年03月10日

メトロポリタン アジア部門100年記念号 その5


Orientations メトロポリタン アジア部門100年記念号

https://www.orientations.com.hk/backissue/volume-46-number-2/



 巻頭のマックスウェル ハーンのエッセイEvolving Visions of Asia: Chinese Art at The

Metropolitan Museum of Art (106-117p)にも述べられているし、書きにくい話題だが、方聞Wen C. Fong(名誉)教授について触れないわけにはいかない。


 方聞教授は1930年に上海で生まれた人で、島田修二郎教授に学んだ人らしい。同時期に島田教授に学んだ人に故ジェームス=ケーヒル先生、ハリー=パッカード氏がいる。1958年ごろにプリンストンで「大徳寺伝来五百羅漢」をテーマに博士論文を書き、エール大学美術館に勤務、1970-73年にプリンストン大学の美術考古学学部教授、八年間プリンストン大学美術館勤務、その一方、1971年にメトロポリタンの特別コンサルタントになっている。40歳ごろに大きな転機があったようである。島田修二郎教授がプリンストン大学教授に1964年になったことと関係があるのかもしれない。プリンストンはニューヨークとフィラデルフィアの間にあるから、まあ通えないことはない距離でかけもちできないわけでもない。1990年にメトロポリタンのアジア部門の部長になり、20004月に、メトロポリタン美術館を引退している。


 プリンストンでの学生の中には、米国の美術館スタッフや大学教官になった人も多く、派閥を形成しているようにみえ、米国の中国美術研究学会に大きな影響力があるようである。


  マネジメント能力が際だって上手く、精力的な人らしく、非常に多くの展覧会を企画、組織、解説を書いている。専門らしい?書画だけでなく中国古代考古などにも解説文を書いている。 The Great bronze age of China : an Exhibition from the People's Republic of Chinaby Wen C. Fong 1980は日本でも多かった文化大革命後中国新出土品特別展カタログで、こんなものも編集しているのか?同じ人なんだろうか?と思ったものである。当時、メトロポリタンのアジア部門は人数が少なかったらしいので、やむを得なかったのかもしれない。


 また、Douglas Dillonを筆頭に多くの富豪のパトロン/蒐集家と良い関係を築き、メトロポリタンのアジアギャラリーの拡張事業・蒐集事業に貢献した。


 このような輝かしいキャリアの人なのだが、論文や解説(特に書画に関するもの)は、殆ど読むに堪えない。空疎な美辞麗句の連なりであって、よくこれで一冊の本、一つの文章が書けると感心する。データ中心の記録・解説はまだ役に立たないことはないが優れた見解や鑑識眼、アイディアを探しても無駄である。

 まあ、蒐集家や古美術商にとっては、自分の所蔵品や商品をほめてくれる学者というのはありがたい存在だろう。美術館の責任者にとっても贋物や低級なものを購入した展示したと暴かれるのは責任問題である。しかもプリンストン大学という名門の教授でメトロポリタン美術館の人だとすればなおさらである。いろいろ批判してくるうるさい学者よりもそういう人を近づけたくなるのも無理はない。しかしながら、ギャラリーの拡張事業の基金を集めたりするのには優秀な人なのだろうが、美術館の蒐集の責任者や学会の指導者としてはいかがなものだろうか? 


1970年に台北國立故宮で開催された中国絵画シンポジウムは歴史的に重要なものだが、論文発表後の質疑応答では方聞はおかしな発言がめだつ。一方司会者や調停者としては優秀さをみせているようだ。

方聞が相談役になったらしいエリオットコレクションの中国書法の特別展を天王寺の大阪市立美術館で 2003年(平成15年)に観賞したとき、王羲之の行穣帖にはさすがに感嘆したが、他のものにあまり精彩がなかった。専塔銘の拓本にいたっては明らかな贋物であった。ある知人は「ガラクタばかり」とこき下ろしていたがそれは言い過ぎで、行穣帖を初めて優れたものはあったが、全体としては評判ほどではなく、同時に展覧されていた日本所蔵の中国書法の優秀さがめだっていた。


 米国でも色々スキャンダルにまきこまれていたようで、1973年にメトロポリタンのホーヴィング館長のもとでの中国宋元画購入には批判が多かった。このホーヴィングと方聞はあくの強さと野心家風なところが見事なコンビであった。1997年に上海生まれのチャイナ系米国人実業家Oscar L. Tang ( [馬留] )が寄贈した董源と称する谿岸図RIVERBANK をめぐる騒動があった。このときは、多くの学者が否定的であったなかで擁護論を出し、メトロポリタンはシンポジウムまで開いたがウヤムヤに終わった。20072月に台北 大観 北宋書画展で、この絵をみたとき「そもそも構図そのものがおかしい。台北で展示させようとしたメトロポリタンの心臓の強さに呆れる。」という感想をもったものだ。並べると一目瞭然で数ランク落ちる作品であると感じた。


 困るのは、前述のように弟子筋が米国などに多く「方聞先生のご判断」的な影響力があるようなので、そういう派閥的なもので美術史を毒するという問題が、今後も負の遺産になりそうだということである。



posted by 山科玲児 at 09:20| Comment(0) | 2015年日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]