2015年05月07日

アンコールワットの彫刻

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 カンボジアのアンコール遺跡にある彫刻は、19世紀から愛好者が多く、1924年あのフランスの小説家アンドレ=マルローがバンテアイ・スレイ寺院の彫像を盗んでもちだそうとしてプノンペンで逮捕されたという事件は有名である。もっともバンテアイ・スレイ寺院自身は、当時崩れ落ちていたわけで現在のような形になってはいなかった廃墟であったのは事実である。
 アンドレ=ジイドを初めとする有名人多数の嘆願で釈放されたものの「インドシナの泥棒」という悪名を負ったアンドレ=マルローはその後フランスの文部大臣になって、当時非難したフランス極東学院を監督する地位についたのは皮肉である。
 2002年にアンコールワットなどの遺跡を訪ねたとき、素晴らしい経験だったが、ちょっと気になったのは丸彫りの彫刻がまるでなかったことである。古い写真には結構みえるので、どうも盗まれ易いのでプノンペンの博物館やシェムリアップにあるアンコール遺跡保存所(Conservation D'Angkor)に移してしまっているようだ。現地の人はとくに「タイ人が盗む」といって毛嫌いしたいた。確かに盗まれたり盗掘されたりしたインドシナの文物は、当時バンコクで取引されることが多かったようだ。
 アンコール遺跡保存所(Conservation D'Angkor)については、倉庫の中の写真は撮影できなかったが、屋外においてあるのは撮影できたので、アンコール遺跡保存所:写真集 で公開しておいた(イメージもそのときの写真)。
現在は、これらの多くが、シェムリアップにあるアンコール国立博物館で展示されているらしい。
このときに、アルチザン アンコールという工芸品学校のようなところにも行った。
ここでの業務の一部に石彫の訓練があって土産物や装飾品用に子供たちが石彫をやっていたが、なかなか上手いのに驚いたものだ。

当時のメモ>彫刻では、片紙のようなものを使って石彫、木彫に写し取る、木彫は1木つくりではなく、木のブロックを複数張り合わせたものを彫る。錫の型紙だったのが面白かった。
> 石彫の水準はジャヤバルマン7世像などはよほど手慣れているらしく、なかなか見せるが、プノンペンのドルガー像のコピーなどは、寸づまりになっている。赤色砂岩の板へのバイヨン風の浮き彫りは拙いものだった。しかし、材料は、アンコールワットやバンテアイスライで使用しているものと同じである。赤色砂岩は少し赤みが薄いようにみえたが、灰色砂岩は同じようにみえた。
>このように多数の彫工を養成しているなら、一部で偽作者ができてもしょうがあるまい。この場合、材料では区別できないだろう。もっとも、欧米、バンコクなどの古美術商が雑誌広告にだしている「古代クメール石彫?」は、ここのジャヤバルマン7世像より質が悪いものも多いようだ
当時のメモ終わり>

 アンコールの彫刻コレクションで有名なところは、カンボジアの外では、カンボジアを保護国(植民地)にしていたフランス:パリのギメ美術館が有名である。 2005年に観に行ったし、日本でも部分的には何度も公開されている。 また、米国の博物館などにもしっかりしたコレクションがある。また、東京国立博物館のものは石彫の全ては太平洋戦争前にフランス極東学院と交換したものである。 数は多くないとはいえセデス博士が選んだものなので非常に信頼できるものである。

 最近、福岡市立美術館で、「アンコールワットへのみち」という特別展が開催されているようだが、図録を見る限り、信頼のおけるものであるかどうかは留保したいと感じた。


posted by 山科玲児 at 10:18| Comment(0) | 2015年日記
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