1999年ごろ、インドネシアの海で、唐時代後期(830年前後)の船の積み荷引き上げがあったようだ。
積み荷には長沙窯らしい陶磁器がおおかったんだが、量が半端でなく 6万個というみつもりである。
貿易船だった、こういうものの常として同じものが多量にある。
ただ、それ以外のものに、どうも唐代古美術に関する疑問を深めるものがある。
一つは三彩ではないが緑彩の容器がかなりあることで、もし、こういうものが埋葬用副葬用でしかなかったら貿易船に積むものだろうか?と疑問がでる。埋葬用だけではなかったのか?あるいは海外華僑へ売るためだったのか?という疑問だ。
もう一つは、かなり精巧な金銀器が少数ながらあったということである。こういうものは、洛陽や長安の上流階級や地方でも知事クラスにしか流布していなかった?というみかたが常識だったが、なんでインドネシアの沈没船に、立派な金銀器があるのか?非常に疑問である。
実のところ、最初にこの沈没船の話を聞きつけたのは、唐時代の青花磁器の完品が3点もみつかったというニュースからである。しかしながら、その青花の写真画像はここに提示されているようだ。これもまた色々謎が多い話ではある。