正倉院 の献物帳の中に記載されている、今は失われた屏風の中には、王羲之の書を絹に臨書したものを貼り付けた12扇の屏風がある。
黄白碧緑など色変わりの絹に臨書したものを貼り付けたものらしいので、さぞ綺麗だったのだろう。
また、唐の太宗が自ら真書と草書で屏風に書を書いて群臣に示したという故事もある。
こういう唐代の形式を残す書の屏風、それも王羲之のものの臨書などは、いったいどういうものだったのだろうか、と思っていたが、
最近
を書くとき、
敦煌壁画(103窟 盛唐)
の維摩居士の壁画をみていて、気がついた。
この維摩居士の壁画の背景が、草書の墨跡を貼り付けた屏風になっているのだ(イメージ)。
無論、画家は忠実に再現しているわけではないだろうが、当時の画家が、書を貼り付けた屏風というものがどういうものであったと考えていたのかという一般概念を知ることはできる。
少なくとも、現在の我々が文献で想像するより確かであろう。
どうも、何枚も色紙形のようなものをタイルのように貼り合わせているようにみえる。そして、草書のいわゆる狂草のようなもので、結構大きな字である。