ファン・エイク―アルノルフィーニ夫妻の肖像 という本が最近刊行された。
一読して、どうも、イタリア人のマリオ=パオリ氏の新説を取り上げた本のようである。
この絵はアルノルフィーニ夫妻の絵ではなく、ファンエイク夫妻の自画像だという説である。
しかし、これは無理がありすぎて到底賛同できない。
実は、著者のズッフィ氏も無条件で賛同しているわけではなく、個人的には賛同したいが、色々問題や異論もあるというスタンスで書いている。
当方の異論を書いておきたい。
1.まず第一に、女性の年齢である。もしファンアイクの妻なら、1434年には28−29歳だったはずである。早熟が原則だった当時の常識も考慮するとこの女性はどうみても18,9歳、せいぜい20歳ぐらいにしかみえない。
1.まず第一に、女性の年齢である。もしファンアイクの妻なら、1434年には28−29歳だったはずである。早熟が原則だった当時の常識も考慮するとこの女性はどうみても18,9歳、せいぜい20歳ぐらいにしかみえない。
2.男性のほうだが、どうみても、ベルギーとドイツの間:ニーメンヘン=リンブルグ出身の人間にはみえない顔である。マリオ=パオリ氏は女性の顔が「地中海的ではない」と主張しているそうだが、男性の顔のほうがそれよりずっと北方的ではない。
3.確かに、ジョバンニ=アルノルフィニの結婚は1447年であるという古文書がでてきたので、いろんな異論がでてきたのだ。 1447年はファン=エイクの死後である。 ただ、ジョバンニ=アルノルフィニではなく別のカップルを描いたものだとすれば済むことである。現に、wikipediaには、ジョバンニ=アルノルフィニの従兄弟の別のアルノルフィニではないか?という推定が紹介されているようだ。
翻訳の問題もあるようだが、マルグリット=ドートリッシュをマルガレーテ=フォン=エスターライヒと表記するのはかなり違和感があるし、通常、マリー=ダングロワ(ハンガリーのマリア)と表記される人をマリア=フォン=エスターライヒと表記するのは間違ってはいないが、更に違和感がある。もともと彼女らはフランス語圏で生活していたのである。 また、ファン・エイクの豪華でカリグラフィックな銘文・署名を「落書き」と表現するのはおかしさを超えて著者または訳者の見識を疑はしめるものであろう。
マリオ=パオリ氏は、ルッカの図書館長で、最近、絵画に関する本を三冊出版している。
ジョルジョーネのテンペストについての本、2011、ドッシ(Giove di Dosso Dossi)というフェラーラのあまり知らない画家の本(2013)そしてこの本のもとになったファンアイクに関する本Jan Van Eyck to the conquest of the rose. The "Arnolfini Marriage" from the National Gallery in London (2010)である。
ジョルジョーネのテンペストについての本、2011、ドッシ(Giove di Dosso Dossi)というフェラーラのあまり知らない画家の本(2013)そしてこの本のもとになったファンアイクに関する本Jan Van Eyck to the conquest of the rose. The "Arnolfini Marriage" from the National Gallery in London (2010)である。
どうも、著者のステファノ ズッフィはパオリ氏と同じ出版社から本を出し、ミラノの人なので個人的なつきあいもあるのではないか?という感じをもった。この新説を無理に擁護しているような香りも感じられる。
欧米で新説がでて翻訳まででると、内容を吟味せず、欧米での評価も考えないで、日本で提灯持ちする人が現れるので、あらかじめ注意したく思って書いた。