なんて、記事がでていて、なんか久しぶりだなあ、、
と感じたものだ。
この件では、いわゆる「有識者」「有名人」「知識人」のトンデモぶりが露わになったはずだ。
と感じたものだ。
この件では、いわゆる「有識者」「有名人」「知識人」のトンデモぶりが露わになったはずだ。
林屋さんも、この件でつまづいたが、その後はどちらかというとまともな活動をしていた。藤岡氏も指弾されたものだが、まあ生き残った。
その後もずっと、これを信奉している水尾比呂志のような人が出版社に恵まれ社会的地位も得るという状況をみると、いわゆる「知識人」の業は深いものだと再度思うところである。
ただ、注意すべきことは2点
1.1962年以前に、佐野で発見された文書や乾山陶磁器はあって、それは現在でも確かな物だと信用されていること。それらこそ本物の「佐野乾山」である。
2.1962年以後、多量に出た「新出 佐野乾山」「新出 乾山写本(40册以上)」の正体が、1960年前後に贋作されたものなのか、もっと昔から作られてきたものなのかには疑問があること。
いずれにしても、全部、尾形乾山在世当時のものとは信じられないと思う。
いずれにしても、全部、尾形乾山在世当時のものとは信じられないと思う。
この前、福岡市美術館で、乾山光琳合作角皿を十枚もみて、藤田美術館の豊かさに唖然としたものだが、少なくともこういう作品とは全く違ったものである(この展覧は本日まで)。
タグ:佐野乾山