2016年02月17日

朝日新聞記者は計算ができない



 朝日新聞が謝罪・記事撤回をやったのは、2014年9月11日だった。現在では慰安婦強制連行の虚偽捏造の謝罪ばかりが言及されることが多いが、実際のところは福島原発事故の「吉田調書」に関する捏造見出し、不当報道に関する謝罪が第一で、慰安婦関係は第2だったように記憶している。
  あの「吉田調書」問題は、朝日新聞の捏造・プロパガンタ体質がもろにでていた事件だったが、民主党政権成立前の新聞の狂態をよく知っていたし、その後の消費税のときの新聞の戯言も読んでいたので、私は新聞そのものを信頼していなかったし、まして朝日新聞そのものを全くみておらず、どうでもいいプロパガンタ新聞だと軽視していた。
  私自身が新聞を軽蔑しきっていたため、この「9割が命令に反して撤退」などという報道を欧米マスコミが真面目にとりあげるなんて信じられなかったのである。この裏には日本人への人種差別意識があると思う。またJAPAN TIMESの問題もあるのでは? というのも1995年ぐらいまで私は英語の鍛錬もかねて英字紙JAPAN  TIMESを読んでいたんだが1990年代から急速に内容がおかしくなって、変な論評や思い込み記事が多くなってしまったので読むのをやめたのである。こういう英字紙からの欧米への情報発信がおかしいのが原因だったのかもしれない。

 当時の朝日のデジタル版記事には、とんでもないおかしな記事があったことを、最近知った。朝日のサイトは削除して隠してしまったらしく、Googleのバッファの残影で残っているだけだが、

  吉田調書 - フクシマ・フィフティーの真相 - 特集・連載:朝日新聞 ...
     www.asahi.com/special/yoshida_report/1-1.html
   >免震重要棟周辺で午前7時14分時点で毎時5ミリシーベルトだった。まだ3号機が爆発する前の3月13日午後2時すぎと同程度だった。吉田の近場への退避命令指示は、的確な指示だったことになる。 ところがそのころ、免震重要棟の前に用意されていたバスに ...
   >
という下りである。

この毎時5ミリシーベルトだった。
ーー>吉田の近場への退避命令指示は、的確な指示だった
という論理展開がいかにおかしいものであるかは、原発事故当時のネットニュースに触れていた人ならだれでもわかるだろう。

福島原発事故以前の原発作業員の年間被爆最大量はたしか100ミリシーベルトである。
被曝量は100ミリシーベルト超えると、現場を離れ後方に下がらなければならない。
福島原発事故のときには、そのために熟練作業員の確保が難しくなったということをよく憶えている。

  この「毎時5ミリシーベルト」なら、20時間つまり1日もしないうちに「近場への退避」中、何もしないでぼーーーとしていても、後方オフサイトセンターに後退しなければならなくなってしまう。全く計算のできない腐った頭でないと「的確な指示だった」なんという文章は書けないはずである。

 ここで指摘しているのは、主義主張やイデオロギー以前の、論理性のなさ・計算能力のなさである。
 つくづく、新聞社に就職しなくてよかったと思った。

posted by 山科玲児 at 09:44| Comment(0) | 2016年日記
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