2016年06月10日

ボス  三賢王礼拝 の寄進者 (ボス展のカタログを読む 追加分)

Bosch Epiphany Prado.jpg


 今回のプラド美術館におけるボス展でも、当然展示された
三賢王礼拝の祭壇画」
 は、2005年のときの印象よりよほどよくみえた。展示環境というのはおそろしいものだ。

  この祭壇画に描かれた 2人の寄進者については、1567年、アルバ公がJan Casembrootの財産を没収したときの目録に
 
     >Bronchorst と  Boschuysenの紋章が外側にあるボス作の三賢王礼拝の祭壇画

という記述があることを根拠にし、描いてある守護聖人が聖ペテロと聖アグネスだから、この2人は、
  Peter van Bronchorst と Agnes van Boschuysenであると 信じられてきたのである。

 従来、 ブロンクホルスト=ボシュハイゼ祭壇画と呼ばれてきたこともあった。
 ところが、2001年のロッテルダムのボイマンス美術館におけるボス展の際、当時ベルギーのナミュールにいた研究者 Marianne Rensonが 紋章が合わないこと、該当する人がいないらしいことを論じて問題提起した。
  Marianne Renson, Genealogical Information Concerning The Bronchorst Boschuysen Triptych, 2001, Rotterdam

   財産目録の記述では「外側に」紋章があるのだが、現在プラドにある絵では内側に紋章があるから,
以前からおかしいとはいわれてきたんだが、これで徹底的におかしくなってしまい、財産目録の絵と現在の絵は別々の絵なんじゃないかということになっている。

 では、この2人は誰なんだろうか?  ペーテル某とアグネス某であることは、ほぼ間違いないとしても、どこの誰なんだろうか???

  今回のプラドのボス展のカタログを読んでいてようやく手がかりがみつかった。
 どうも、2004年に系図学の地味なめだたない雑誌に、Xavier Doquenne
という人がある解決を発表したらしい。
    Title:  La famille Scheyfve et Jérôme Bosch 
     Author:   Duquenne, Xavier  
    Genre:   Nonfiction, art history 
     Release Date:   2004 
    Source:   L'Intermédiaire des Généalogistes, nr. 349 (January-February 2004), pp. 1-19 
 紋章や古文書、系譜から割り出したようなのだが、論文そのものを入手できず読んでいないので、確信はできない。ただ、今回のボス展のカタログにも寄稿している専門家Eric de Bruynの紹介文(2012年)があるので、一応 信用したい。
    Doquenne 2004
  http://expert.jeroenboschplaza.com/ericdebruyn/duquenne-2004/?lang=en

  それによると、二人は、アントワープの織物商 Peeter Scheyfve(ー1506)とその妻Agnes de Gramme(ー1497? )である、Peeter Scheyfveはアントワープ織物商ギルドの幹部という大商人であった。アントワープ市の財務官(出納担当)にも就任していた上流市民である。また妻の父もまたアントワープ市の財務官(出納担当)に2度にわたって就任していた上流市民である。

  Peeter ScheyfveにとってAgnesは二度目の妻であり、しかもAgnesの死後再婚しているので、 この絵の制作時期がかなり狭く限定できる。つまり1497年以前(少なくとも三度目の結婚の前) でAgnesとの結婚の後である。これは、ボス研究にとって重要なことだ。 従来は晩年作(1510年ごろ)といわれていたが、間違いであった。

 
  某教授が「アントワープの徴税請負人」といっていたが、それは間違いか、少なくとも主要業務ではない。たぶん某教授は私と同様に原論文を読んでいないと思う。15世紀で徴税請負人というのは、どうもおかしいと思っていた。


 

posted by 山科玲児 at 07:01| Comment(0) | 2016年日記
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