6月21日に、プラドのカタログを読んで、次のことを指摘しておいたが、
> 次に、ウイーンの最後の審判 の 外側の聖人が 聖バーボではなく、聖ヒッポリートであり、注文主はブルゴーニュ宮廷人 ヒッポリート ド ベルソス Hippoilytes de Berthoz (-1503) その祈願者の像が中央画面の左下にあって塗りつぶされていること、外側の紋章盾の空白も塗りつぶされていて、その紋章がその人であること、がX線でわかり、2004年に指摘されていること
> このHippoilytes de Berthozの息子は1505年に、ハプスブルクのフィリップ美公にボスの聖アントニウスの誘惑を売っている記録(312リーブル) もある。ひょっとしたら、これがリスボンの絵かもしれない。
よくよく考えると、ウイーンの「最後の審判」の外側のグリザイユの2聖人(イメージ)には、ボスの筆はあまり入っていないかもしれない。まず、左側のスペインの守護聖人 聖ヤコブがおかしい。Hippoilytes de Berthozの親族や妻にスペイン関係者はいない。
画風からいっても、ボスのグリザイユでこういうのは他に例がないと思う。
上記のように、Hippoilytes de Berthozの息子は1505年に、ハプスブルクのフィリップ美公にボスの聖アントニウスの誘惑を売っている。それも312リーブル 金貨312枚というから当時としては大金である。 そうすると、この最後の審判で、寄進者の肖像や外側の紋章が塗りつぶされたのは、息子もしくは関係者が売ろうとして手近な画家に依頼したのではないか?? おそらくブリュージュかブラッセル、あるいはマリーヌに住んでいたのではないか?と思われるので、地元の画家に依頼しただろう。画家がまだ生きているとはいえ、いくらなんでもヘルトーヘンボスまで運んで描きなおさせたとかボスを呼び寄せて描きなおさせたとは思いがたい。
このグリザイユはボスの作品としてはかなり異風であり、メムリンクのグリザイユなどにかなり近い。あるいはブリュージュのメムリンク周辺の画家に依頼して描きなおさせたのかもしれない。ボスの作品が生前からスペインの王侯貴族に求められていたのだから、そういうとことに売りたいと思って描きなおしたのかもしれない。と想像している。
この絵をクラナッハが模写したものがベルリンにあるが、それは1508年にクラナッハがネーデルランドに行ったときに模写したものではないかと思う。ゲバラ一族などネーデルランドにいたスペイン貴族は少なくない。この絵の模写・部分模写はあまり多くないようだ。