東方書店の宣伝紙「東方」の最新号428号に
中国古版画散策 第21回 瀧本弘之
という記事があり、
「金石索」をとりあげている。
中国古版画散策 第21回 瀧本弘之
という記事があり、
「金石索」をとりあげている。
道光年間に刊行された、木版画による金石図録で、画像石拓本を木版画で再現している(上イメージ)。
瀧本氏は、その「再現」の味わいについて、なかなか穿った、味わいのある評価をしている。
「但しそこには乾骼梠繧ノ編纂された四庫全書の精神が良くも悪くも反映されている。」拓本と比べると
「原作の図像の荒削りなところや不揃いなものが刈り込まれ、もとの金石の味わいがより典雅な方向に向けられているようだ。つまり当時の文化人の好みが自然に滲み出ているのである。」
というのは、誠に好ましい批評だと思う。
更にいうと、こういう「金石索」図像の味わいは、日本の漢学者にも好まれたらしく、よく挿絵や表紙に採用されている。
国会図書館デジタルコレクションでも閲覧できるようです。
ところが、ちょっと気になったのは、瀧本氏が「拓本」として採用している図版である。これは、原拓の拓本ではないかもしれない。原拓の写真(下イメージ)と比べると、背後の縦筋がないし、殆ど見えないはずの始皇帝の袖の筋がみえたり、かなり変である。 これでは、「拓本」と比較しているとはいえない。ひょっとしたら石版図録の漢画集からとったものではないだろうか?
これは、現シカゴ大学教授の巫鴻氏の著書「武梁祠」(2006、三聯書店)によるものという。
巫鴻氏は、図像学的研究(イコノロジー それが何を描いているのかを研究する)を詳細に解説するのが主眼であるから、原資料が原拓だろうが重刻であろうが、描きおこしであろうが、かまわないのかもしれないが、他の人が拓本の資料として採用するのには注意が必要だと思った。
巫鴻氏は、図像学的研究(イコノロジー それが何を描いているのかを研究する)を詳細に解説するのが主眼であるから、原資料が原拓だろうが重刻であろうが、描きおこしであろうが、かまわないのかもしれないが、他の人が拓本の資料として採用するのには注意が必要だと思った。