2016年11月23日

アルマ カーリン 孤独な旅人

Alma_Karlin_1920s.jpg

 
スロヴェニア出身の 女性旅行家  ジャーナリスト  作家である
   アルマ  カーリン Alma Maksimiljana Karlin (1889-1950) (イメージは、1930年ごろ? スロヴァニアの博物館での写真) について、ちょっと前の香港雑誌オリエンテーションズ4月号で紹介されておりました。  それは、カーリンが1920年代に収集したもの、当時の世界の写真などがスロヴェニアにあって、それを紹介するとともに、彼女の破天荒な生涯を紹介したものでした。

  日本では、ほとんど知られていない人ですが、興味深い人ですよ。なんと日本に一年以上滞在してます。最初は有楽町三丁目の旅館に泊まってます。
     まず、1919年11月24日に列車に乗る前に母親に出した手紙の中の一節が、冒頭に語られています。そのあと8年の旅で世界一周しました。
   「行かなければいけません。私の中のなにかがそうしろといってます。そして、そうしなければ私は落ち着くことはできないのです。」
 カーリンの所持品は、ERIKAタイプライター、カーリン自身が作った十カ国語辞書、小さなスーツケース、130米ドル、960ドイツマルクのみでした。
   カーリンはドイツ語が母国語ですが、十九歳でロンドンにいって多くの言語を学び、ジャーナリズムと接触したみたいです。第一次世界大戦のとき英国では敵国民になったので、北欧に逃れたんですが、一度スロヴェニアに戻って、更に大旅行をはじめたようです。彼女の旅費は、翻訳者と旅行ジャーナリストとして稼いだようですね。世界中の30以上の新聞や雑誌に寄稿してますが、これは既にコネをつけてないと無理でしょう。日本ではドイツ大使館の仕事をし、東京大学で講義もやっています。

  旅行後ですが、ドイツの出版社から出した3巻の旅行記は、なんとドイツ語の初版はすぐ売り切れ。ドイツ語版が八万部売れ、英語、フィンランド語に訳され100もの新聞で書評がでたそうです。
   カーリンは、台湾では恋人と、なんと台北のDaito-tei districtに住んでいたそうですね。台湾を「夢の島」と呼び、タイヤル族のとこにも行っているようです。

  スロヴェニア第3の都市Celjeツェリェへ旅行した人の記録では、博物館に特別コーナーがあるようですし、町の真ん中に銅像があるそうです。
http://www.eu-alps.com/x13-st/do-2013/2013hotel-guide3.htm

 
そして、2009年にスロヴェニアで カーリンのドキュメンタリー映画を作ったようです。
予告編
Alma M. Karlin  The Odyssey of a Lonely woman
https://www.youtube.com/watch?v=G0aLDg4-tM0
  よく似た顔の俳優が演じていますね。

Alma M. Karlin (1889-1950) virtual home
posted by 山科玲児 at 16:25| Comment(3) | 日記
この記事へのコメント
大稲〔土呈〕ですか!台湾人の街ですね。
お連れしましたかね?
日本が来る前から、近代貿易で栄えた町で、
日治時期にも、日本植民者の城内に対して、台湾人の生活地域として住み分けてたとこですね。
日本人は足が踏み入れにくく、文化抗日の牙城、文化協会の本部があったとこです。
ぼくも何度か現地調査に行き、歴史も調べました。
いまはちょっとさびれたところです。
北京語で da4 dao4 cheng2
繁体字で 大稻埕

そこに住んでたとは、台湾人との付き合いがあったんでしょうね。
しかし、当時は北京語は通じないし、台湾語でなくば、日本語で生活してたのでしょうか。
Posted by 臨夏 at 2016年11月23日 23:04
>臨夏  様

ご教示ありがとうございました。

行政区としての名前が地図になかったので、大同区かな?それにしてもおかしいと思って英文をそのまま書いておいてよかった。日本統治時代の古地図でもこの地名は表示されていませんでした。
やはりユ化街のあるあのあたり淡水よりのところでしたか。

大阪の船場とかキタとかミナミとかいうような古い地名で、漠然として、地図にない通称がある場合、時代が変わったり、外国のことだとわかりにくくなるものだ、と思ったものです。

大稲〔土呈〕
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%A8%B2%E3%83%86%E3%82%A4

富裕層が多く、劇場もあったそうなので、カーリンむきだったのかな、

>しかし、当時は北京語は通じないし、台湾語でなくば、日本語で生活してたのでしょうか。.

香港の九龍であった恋人と住んだそうですから、広東語系ですませていたのでは。
カーリンは語学には異常な才能をもっていたようですから。


Posted by 山科 at 2016年11月24日 07:34
助言が有効であったようでよかったです。
そうです、迪化街があるあたりですね。
あそこの風景が、郭雪湖の近代名画、《南街殷賑》ですわ。

ところで、迪化は、ユカでなくテキカですね。
北海道大学の恵迪寮がこの字で、迪化はもともとウルムチの漢名と思いますが、旧称です。
Posted by 臨夏 at 2016年11月24日 11:08
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