2017年01月16日

民主制アテナイの良識

に追加したが、このエピソードはあまりに興味深いので、もう少し話してみる。

ちょっと、再録する。

民主制のアテナイの時代の逸話をプルタルコス 対比列伝からひいてみよう。
>「土と水」(これは国土を意味する)を要求するためにペルシア大王から遣わされた一行の中にいた、二ヶ国語を話せる男に対して、テミストクレスのとった処置も称賛を博している。通訳をつとめるこの男を、夷狄(バルバロイ)の命令を伝えるのにギリシアの言葉をもってしたのは失敬千万だというわけで、引っ捕らえた上、決議によって処刑させたのである。

  思わず、ハア?である。降伏勧告にきた使者を処刑するというのは、日本も元寇のときやっているから、古代ではおかしなことではないが、その理由が「外国人が図々しくもギリシャ語を使って降伏勧告をした」ということで、しかもそれをギリシャ人たちが「賞賛した」。。

 現在なら、こんなことをいったテミストクレスは「頭がおかしい」とされて解任されるだろう。このような強烈なギリシャ文化至上主義の上に、アテナイの民主制が動いていたのである。

【追加】しかもテミストクレスは、その後アテナイを民主主義によって(陶片追放)追放され、なんとペルシャに亡命した。従って、この法外な排他主義的な判断は、当時のアテナイ有権者の「良識」「常識」であったことがわかる。

テミストクレスは、すぐペルシャにいったわけではなく、ギリシャの他都市にいったがどうも折り合いが悪く、最終的にペルシャ宮廷で厚遇された。ただ、アテナイを攻めるように命令されて毒を飲んで自殺。

 そうはいっても、この生涯から考えてテミストクレス自身はそれほど排外的な人間ではなかったと思う。そうであればペルシャにはいかなかっただろう。辺境やイタリアの植民都市や、マケドニアなどいけるところは色々あっただろう。 有能な政治家・将軍であったのは確かなのでリアリスト プラグマティックな人だったのだろう。あの言葉はたぶんアテナイの民衆にうけるためのCM宣伝文句だったと考えざるを得ない。
 そう考えると、民主政治のアテナイの有権者たちの「良識」「常識」がどこまで現在と違うかを実感できる。

 このエピソードは、ルーマニア出身のエッセイスト哲学者E.M.シオランが「一文明の頂点にあった民族がどこまで傲慢で自信に満ちたものになりうるか」という例としてあげていたので、よく憶えている。


posted by 山科玲児 at 07:32| Comment(0) | 2017年日記
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