2017年01月28日

諺も変わっていく

老子 千里の道.JPG

「地獄への道は善意でしきつめられている」(マルクス←ジョンソン←聖ベルナール)
に関する話のついでに、諺や名言のことを少し書いてみる。

「千里の道も一歩から」という諺がある。これは「困難な大きな仕事も、小さいことを積み上げてなしとげられる」という積極的な意味で使われることが多い。この語源はたぶん老子道徳経(上イメージ)であろうが、「一抱えもある樹もひこばえから生じ、九重のピラミッドも土塊ひとつを積むことから建設がはじまり、千里の道も足下から始まる」この道徳経での意味は実は反対である。災いはごく小さな原因から始まるので小さなことだからといって無視してはならない、芽のうちに摘まなければいけないという例えである。「アリの一穴」「治において乱を忘れず」のような文脈で、現在日本で使われている意味とは全く異なっている。

  諺そのものは同じでも意味が違っているのだ。どちらの解釈も悪くはないが私は現代の解釈のほうが少しよいと感じる。

  これほど極端に違ってはいないが、次の例も多少地滑りをおこしている。
「ことごとく書を信じれば、書なきにしかず」(孟子 尽心篇 下イメージ)
  これは原典では、孟子は書経(尚書)のことを言っているわけで書物全般を言っているわけではない。孟子は周の武王が殷の紂王を攻め滅ぼした戦争を仁義の戦いと理想化したので、殷の軍隊は周に従った(寝返った)と主張したかった。だから「血の海に杵が浮かぶような激戦になった」という書経の記述などデタラメだと言いたかった。だから「書経を丸呑みで全て信じるなら書経などないほうがいい」と言ったわけである。
 現代では書が書物一般に拡大解釈されていて、「書物を盲信するのはよくない、批判的に読まなければいけない」という意味で使われることが多い。これは「反対」とはいえないが、かなり拡大解釈になっている。
 ただ、この拡大解釈の方がずっと人間の真実に迫っているようなので結構気に入っている名言だ。当初の孟子のかなり身勝手なこじつけより後世の集合知のほうが優れていたようだ。

 もう絶版だが変わった本が多かった現代教養文庫に「日本のことわざ」という本があった(イメージ)。ここで取り上げられた諺には、上記のような二〇〇〇年以上前のものは少なく江戸時代の地口や芝居などからでたものが多いようである。

最後に西洋というかビザンチンから、皮肉な名言を一つ
「淫蕩に傾くものは心が広く仁慈に富んでいる。純潔に傾くものはそうでない。」
    聖ヨハネス・クリュソストモス(西暦4世紀末の人)


孟子 尽心IMG_2394.JPG  日本のことわざ.jpg
posted by 山科玲児 at 16:17| Comment(0) | 日記
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