2017年01月31日

最初の美術商


 ちょっと他のことで 古美術 1963年第2号を読み返していたとき、
  史上最初の美術商人--ジョヴァンニ・バッティスタ・デッラ・パッラ  (著者 三輪 福松)
という記事が眼に入った。この人はヴァザーリにでていて、ミケランジェロと関係のあった人らしいが、現在はwikipediaにすら記述がなく、英語ネットにすらなく、イタリア語の伝記人名録サイトに記述があるだけである。
  拾いものかもしれないので 注意をしておく。

 この人はフランス王の美術蒐集の代理人のような商売をしていたようだ。こういう代理人商売は20世紀前半ぐらいまで、西欧とくにイタリアでは多くてXXはボストン美術館の代理人とかいうような商人が多かったようである。
  フランス派だったので、最後には逮捕され殺されたそうだ。このころのメジチ派=皇帝派であったグィッチャルディーニ の断章集などを読むと双方の言い分がわかるような感じもする。

  東洋でも美術商というのは、古くからあったはずだが、他の職業との兼業が多かったようである。
中国では項元ベンのように質屋というのが定番のようだ。明末清初の呉其貞は専業の美術商にみえる。

  日本では表装屋(経師屋)がやっていたようで、記録的には中国より古い。保延六年十月二十二日(ACE1140)藤原定信のところに経師の妻が小野道風の書と藤原行成の書を売りに来たというはっきりした記録がある。どちらかというと、この「経師の妻」が記録に残る最初の美術商かもしれませんね。

 古代のローマ帝国時代にも「美術商」というのはあったと思うのだが、未だ記録を読んでいない。


posted by 山科玲児 at 08:30| Comment(0) | 2017年日記
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