2017年03月25日

呉彬

呉彬 谿山絶塵.jpg


英文WIKIPEDIAの呉彬(イメージは呉彬の山水画)の伝記
https://en.wikipedia.org/wiki/Wu_Bin_(painter)

には、かなりおかしなことが書いてあることが多いので書き直しが必要だと思います。

  まず、呉彬は、確かに文人的教養をもっていましたが基本は画家である。まず宮廷の官吏になったような記述があるが、これは間違い。役人になったとしてもそれは南京の副政府(北京の政府の副として名誉職的な内閣がおかれていた)への画家としての就職でしょ。これを北京紫金城の宮廷に仕えたと勘違いしている記述があった。そのとき授かった官職が「中書舎人」。これを「中書省」の役職だと勘違いしている英文記述があるが、これも間違い。明の宮廷では画家に武官や文官の適当な役職をあてて皇帝のそばに仕えさせた。そのうちの一つです。
 また、米萬鐘に招かれておそらく北京へ赴いたとき、宮廷にも仕えたという話もありますが、これもはっきりしません。
 さらに、「修道僧Monkになった」という記述がありますが、[有髪の僧]らしい記述があるし、明末、萬暦には非常に流行った反僧反俗の「居士」「居士仏教」「禅悦」というものでしょう。なんで修道僧とかいう話がでたのかねえ。
  なんか、英文の古い本の解説もかなりおかしいものがあるようですね。
posted by 山科玲児 at 08:49| Comment(0) | 日記
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