2017年05月10日

郭店楚簡老子の年代

文物1997July.JPG


郭店楚簡老子ってのは、老子の最古のテキストで、1993年に発掘されました。
その最初?の発掘報告があるのが、イメージに表紙を出した
文物 1997年7月号です。
p35−48  湖北省荊門市博物館、荊門郭店一号楚墓
  それによると、1993年8月23日に盗掘事件が起こり、さらに10月中旬にも再度盗掘があって、盗掘孔から雨水が入ってしまうような有様になってしまったので、10月18日〜24日で緊急発掘して整理した、ということでした。

 盗掘で、奪われたものがあったせいか年代がしるされたものがないのですが、器物の様式などから、
前4世紀中期〜前3世紀初め(BCE350?-BCE300?)と博物館の著者たち(王傳富、湯學鋒)は推定しています。
  私が、一緒に出土した文物の写真をみてもいたって妥当な推定だと思いました。

また、
中国出土文献研究会のサイトの解説
http://www.shutudo.org/newmaterial/kakuten
にある、
秦の将軍 白起の軍勢が郭店にやや近い楚の都を陥落させたBCE278年を下限とする。という記述はまことにもっともだと思います。

ところが、昨日 言及した 分厚い本
池田 知久
には、
  執拗に, BCE250年ごろまで引き下げたい、と書いてあります。
  都が陥落して遷都したあとの、廃墟と化した旧都の周辺でこんなかなり豪華な墓葬があるなんて、あまりにも馬鹿馬鹿しい話ですね。それに、明器の人形や副葬品の目録なんかならともかく、こういう文献が墓に入れられる直前に書写・制作されたはずがないでしょう。少なくとも数年〜数十年前の書写です。
 分厚い本を書いている池田先生ですが、なんかおかしいなあ。

まさか、 mega biblion, mega kakon(大きい本は大きな禍)」 カリマコス

じゃないでしょうね。


posted by 山科玲児 at 07:39| Comment(0) | 日記
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