東京上野の西洋美術館で、アルチンボルド展を2度観ました。
アルチンボルド展
今日は、あまり時間がないのでエッセンスだけ書いておきます。
1.真の傑作とすべきものと、工房での量産型のもの、どうしようもない模写、模倣作、修理がひどくてもとの表面が少ない者。などが判然とわかる見事な展覧会でした。
超一級は、Kunsthistoricheの水と冬、リヒテンシュタインの大地、マドリードの春、そしてクレモナの庭師、素描では「紙の自画像」
2.おそろしいことに図録・カタログは色合わせが悪く、ゲサクな作品も一級品も皆同じようにみえます。図録制作者は作品を観ないで制作したらしい。これは寄稿している著者というより技術者の問題ですが、急いでいるということもあったのでしょうが、がっかりしました。実は図録の図版を真面目にみたのは長崎に飛行機がついてからであって、カラー図版をみて眼が潰れるような気がしました。モノクロのほうがよかったかも、、
アルチンボルドの日本語の本自体、ないに等しいので、貴重な本だと思い、中をみずに買ったのですが、観なくて良かった。買うのを迷ってあとで後悔したかも、、
アルチンボルドの日本語の本自体、ないに等しいので、貴重な本だと思い、中をみずに買ったのですが、観なくて良かった。買うのを迷ってあとで後悔したかも、、
3.マドリードの「春」をみて、これはヤン=ブリューゲルの花束と技術的には変わらないのではないか?と思い、静物画の誕生という問題を考え直しました。この春は1563年であり、ヤン=ブリューゲルやカラヴァッジョが静物画を開拓した時期の半世紀も前です。つまり静物画の技法自体は半世紀前にできていて、問題は静物画というジャンル画題が「絵画」として認められているかどうかという問題、芸術家側ではなく、注文者側、鑑賞者側の問題であるということです。「静物画」を注文し、売買する人々が一般的になるかどうかという社会的な問題でした。
そういう点でいうと、カラヴァッジョの「果物籠」をもち、ヤン=ブリューゲルのパトロンであった フェデリコ=ボロメオ枢機卿という人物が「静物画誕生のキーマン」だったのかもしれません。