は良い本ですが、
104−105pに
「敬虔なカトリック教徒 ブリューゲル」というコラムがあります。
「敬虔なカトリック教徒 ブリューゲル」というコラムがあります。
なんか唐突というか違和感があるコラムですが、こういうコラムがでる原因は2つあるのだと思います。
@ コラムの冒頭で書いてあるように、二十世紀後半にブリューゲルを社会主義的に解釈したい学者たちが、「造反有理」「政治的反抗者じゃないと優れた芸術家ではない」という固定観念から、ブリューゲルを無理に新教徒側によせた。こういう偏見に森洋子氏が反論しなければいけなかった、
A 森洋子氏が師事したマレイニセンは「ブリューゲルは敬虔なカトリック」という熱烈な論者だった。
私は、当時の「カトリック」の概念は、トリエント公会議以降、宗教戦争を経た現在のものとはかなり違っていたんじゃないかと思っております。
ブリューゲルの信仰というのは、その周囲の学者たちと同様にエラスムス的あるいjは習慣的なものじゃなかったのかな。当時の画家や学者たちのほとんどは「カトリック教会の堕落の批判と改革」は言っても、「新教徒の狂信」にはついていけず、ほとんどはカトリック教会内部に留まっておりました。デューラーもガリレオもコペルニクスもエラスムスも皆そうです。
ブリューゲルの信仰というのは、その周囲の学者たちと同様にエラスムス的あるいjは習慣的なものじゃなかったのかな。当時の画家や学者たちのほとんどは「カトリック教会の堕落の批判と改革」は言っても、「新教徒の狂信」にはついていけず、ほとんどはカトリック教会内部に留まっておりました。デューラーもガリレオもコペルニクスもエラスムスも皆そうです。
ブリューゲルのパトロンが異端審問に熱心なグランヴェルだったことは色々議論されております。が、異端審問も、実は新教徒側のほうが盛んにやっていて、現在のISみたいなイコノクラスム(偶像破壊運動)まで大規模にやっているというありさまでした。どちらかというと社会体制護持をやらないといけなかったカトリックのほうが量的には及び腰だったでしょう。最後の異端審問=魔女裁判は、なんと新教徒の米国 セーラムで行われたものでした。カルヴァンがジュネーブで解剖学者・医者 のミッシェル セルヴェを宗教裁判で火刑にし、スコットランドが新教 長老派になったら、魔女裁判が猖獗を極めたという史実があります。
まあ、カトリック側も同様にやっていたのですが、、
>トルケマダは誠実だった、したがって冷酷無情であった。堕落した教皇たちは、買収のきく人間がすべからくそうであったように、寛大であった。 (シオラン 四つ裂きの刑 217p)
というような事情もあったと思いますよ。