2017年07月29日

フォークとナイフ


Hapsburg Ano Warshaw.JPGJanBreugel Tase Prado.JPG



フィレンチェのメディチ家からフランス王妃に輿入れした
カトリーヌ・ド・メディシス(Catherine de Médicis、1519年 - 1589年)が、
フランスにナイフとフォークの使い方を広めたという伝説があるようです。

カトリーヌがイタリアの礼儀作法や料理人、レシピをフランスにもちこんだのは、確かでしょうが、
それが今日でいう西洋料理のナイフとフォークの作法だったかどうか、またフランスに受けいれられたのか?
    というのがあやしいのですね。
       なんかこの「伝説」ではカトリーヌがフランス宮廷に来たとたん、フランス宮廷のマナーや料理が一新され、それがその後まで継承されたような印象をうけるんですが、ほんとうかなあ??

  というのも、カトリーヌの百年後、十七世紀後半のフランスで、ノルフィー某が書いて貴族の奥方や令穣向きに出版された礼儀作法書には、

「ロースト肉は大皿からフォークでとり、自分の皿に移してから指で食べること」

と書いてあるそうですからね。
REF, ジャン=フランソワ=ルヴェル、美食の文化史、筑摩書房、1989 p145

 また、これは古文書の典拠がはっきりしないのですが、有名なシェフ  レイモン=オリヴェの著書から、

ルイ十四世(1638-1715)は相変わらず手で食べる癖をやめなかった。そのためにこの頃のテーブルマナーの第一は、手を清潔に保つことであった。モンテーニュは腹が空いて急ぐときは指を噛むことがあったと告白している。

REF.  レイモン=オリヴェ フランス食卓史、人文書院、1980,  78P

ただ、モンテーニュは(1533-1592)ですから、ルイ十四世とは時代が違い過ぎますね。
ただ、この文章はルイ十四世の食卓について書いてある章のなかにでてくるので、そういう逸話はあるのでしょう。またモンテーニュはカトリーヌより一世代若いので、カトリーヌのイタリア作法導入を無視できなかったはずですけど、この状態です。

  その一方、カトリーヌの時代の、イタリアでは食器としてのフォークは、アルプスの北よりずっと早く(14世紀ごろ)から広く用いられていたようです。どうもパスタを食べるのにまず発達普及したみたいですね。
  REF. A.カパッティ M.モンタナーリ、食のイタリア文化史、岩波書店, 2011、p78

  また、教皇ピオ五世の料理人Bartolomeo Scappi (Dumenza, 1500 – Roma, 13 aprile 1577)によると、デザートは金や銀のフォークで食べるものだそうです。この光景は、ヴェロネーゼの大作「カナの結婚」(1563)(ルーブル)にもでています。
 http://www.wga.hu/html/v/veronese/06/2cana.html
このヴェロネーゼはカトリーヌとは同時代ですね。
   REF. マルコ・カルミナーティ, 名画の秘密 ヴェロネーゼ《カナの婚宴》,西村書店,  2015,  56p

   また、直接、フォークで食べている絵を探したんですが、みつけました。
一つは、ワルシャワの国立美術館にある 「ハプスブルグの宴会」です。1596年ごろの無名画家の作品(イメージ左は部分拡大)。もう一つはヤン=ブリューゲル工房?とされる 「味覚, 聴覚、触覚」、1625年、プラド美術館所蔵(イメージ右は部分拡大)
     https://www.museodelprado.es/en/the-collection/art-work/taste-hearing-and-touch/92488d21-9871-4737-b870-3558ed1ecf1c
    このプラドの「味覚, 聴覚、触覚」が特に重要なのはカキを3叉のフォークで食べているというところです。お菓子やデザートではなくカキなんですね。1625年ごろのイタリアとアントワープではフォークで食べることが上品なことだということになっていたようです。左のハブスブルグの饗宴も三叉のフォークですね。

   どうも口に料理を入れる食器としてのフォークの導入は、通念とは逆に、フランスが一番遅れていたのではないかと思いたくなります。

  勿論、階級や地方差はあったでしょうが。



posted by 山科玲児 at 11:18| Comment(0) | 2017年日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]