2017年08月01日

トリノ=ミラノ時祷書

Turin Milan Hours.jpg

先日、装飾写本を観るで触れたトリノ=ミラノ時祷書は、非常に複雑な伝世過程を経ている。

この件は当方は、2004年に一度書いていた。

十三年後の現在でも、
wikipedia の
トリノ=ミラノ時祷書
の解説も全くわかりにくく、見通しが悪すぎる。実は英語版wikiも、あまりよくなく、
ご本家のフランス語版wikiが、ようやくまともな解説になっている。

ただ、画像データはこのカテゴリーに結構あるようだ。

1996年に、日本では岩波書店が参加してトリノ=ミラノ時祷書
の国際共同出版でファクシミリ版を出したときは150万円という法外な価格であって、公共図書館ですらほとんど所蔵していない。このとき、一般向け解説書をだせばよかったのだろうが、出さずじまいだったので、ファクシミリにともなう解説・資料は読む事はできない状態である。

そこで、簡潔に鳥瞰図的にまとめてみる。

1.1400年以前にベリー公ジャンが作らせた600P以上もある装飾写本があった。テキスト書写や枠の装飾はほぼできていたが、後半にはあまり絵がまだ入っていず空白で未完成だった。1册に装幀されていたとは限らず2册や3册本だったかもしれず未装幀だったかもしれないが、ベリー公自身によって、この未完成本が家臣のロビネデスタンプに譲られた。

2.2017年現在では、その写本は、焼失・紛失分も含めて4つにわかれている。

  2-a パリ国立図書館本。126葉(256P)
 この部分の絵は⒁世紀末のものが多く、また15世紀初めのランブール兄弟らしい絵も入っている。ベリー公のもとでほとんど完成されていた部分のようにみえる。
 この本については、聖母のいとも美しき時祷書( Les Très Belles Heures de Notre-Dame)とよばれているし、この2-a〜d全体について、Les Très Belles Heures de Notre-Dameという名称で総称する場合もある
 パリ国立図書館サイトで閲覧可能::
Tres belles Heures de Notre-Dame .  Gallica

  2-b 1904年にトリノで焼失した本。91葉(182p)
 これは時祷書というより祈祷書。絵についてはモノクロ写真が残っているようだ。ただ、この本から流出した断片が2-dにあるので、現在残っている部分も数Pあるといえばある。

  2-c トリノ美術館所蔵本.。127葉(254p)
   これは時祷書というよりミサ典書。ミラノの貴族から1935年にトリノ美術館が獲得。

  2-d  流出した断片


美術史上で、トリノ=ミラノ時祷書というときは、2-b,2-c、そして断片のいくつかを含めていうことが多いので、2-aが落ちてしまい、ますますわからなくなってしまう。更に2-bと2-cを混同して、焼けた写本がなぜあるのか?と混乱する人も多くなる。

 細かい伝世と制作事情については、めんどうなので省くことにする。

なんで、2-bと2-c が特に問題視されるのかというと、ベリー公の手を離れ、ロビネデスタンプの手からも離れた未完製本の空白箇所に15世紀初期(1420年前後?)当時の貴族が絵を追加させた。 その中にあの初期ネーデルランド絵画の巨匠  ヤン  ファンアイクJan van Eyckの作品(イメージが特に有名)がかなり入っているようだというので、20世紀初頭から延々と議論の対象になっているからである。

ヤン  ファンアイクが絡んでなければ、この写本がこんなに注目されることはなかっただろう。

ロッテルダムのボイマンス美術館でヤンファンアイクとその周辺展が開催されたとき
有名な2つの絵が展示されたようだ。もし現在も装幀された本ならば、展示替えでページを変更したのかもしれない。オランダベルギー在住じゃないと2P観る事は不可能だっただろう。


 また、ロビネデスタンプが分割したという記述を読むと、本を切断したかのようにみえるが、600P300葉もある。 薄い紙でなく、あのそれなりに厚手の羊皮紙で600P以上とはちょっと、、、 しかも内容的には3部に分かれたものだから、 もともと3册本だった可能性は高いし、極自然なことのように思った。


posted by 山科玲児 at 09:13| Comment(0) | 2017年日記
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