2017年10月14日

モナ・リザの伝世


Monaliza_Prado.jpg

名画の秘密 レオナルド・ダ・ヴィンチ《モナ・リザ》  西村書店
http://www.nishimurashoten.co.jp/book/archives/5035

新しい本なので、
1990年代以降に古文書から発見された3つの事実が書いてありました。
これらは、さすがに古いカタログレゾネには書いてないことですね。ただ、この本はモナリザの同時代の模写の問題は触れていないのが惜しい。

16世紀当時の時系列で並べると、

サライが1518年にフランスからミラノへ発つ前に、フランス王の財務官から「何点かの板絵」の代金として2604リーブルの支払いを受けた。これは異例な高額である。(1999年のパリの国立公文書館での発見)

・1525年に作成された、サライの遺産目録に、「ラ ホンダと呼ばれる女性の肖像」が一点記載され、この「ラ  ホンダ」が斜線で消されていて「ラ ジョコンダと呼ばれる」に書き換えられている。この絵は同じリストにあるダイヤモンドなどの宝石より高い100スキュディ555ソルドという高い評価額になっている。このリストには他に「レダ」が一点、「聖アンナ」が一点あった。(1990年  ミラノ国立古文書館での発見)

・1531年、サライの姉妹のロレンティオーラがアンブロージョ・ダ・ヴィメルカーテに絵画数点を譲渡した。そのなかに「ジョコンダを描いた」絵が含まれている。ただ問題なのはその評価額が非常に低いことである (1998年  ミラノ国立古文書館での発見)

この3つの古文書には様々な想像・推定を誘発させるところがある。

 レオナルドの元愛人・弟子・秘書でもあったサライはカラヴァッジョ風なところがあったらしい。レオナルドは、「盗人、嘘吐き、強情、大食漢」と表現している。また、1524年にミラノで決闘をし、その負傷が原因で死去している。
  そういうサライにとって、フランスの田舎の城館で生活するというのは耐えがたいものではなかったか。その直前は大都市ローマ、その前はやはり都市のミラノだし。だから、病身の老レオナルドとは袂を分かってミラノへ帰ったのだろうが、25年も「仕えていた」から、レオナルドを「異端審問所に告発する」とか言って脅してでも財産をわけてもらったのだろうと思う。

 それらの板絵はフランソワ1世がもともと譲渡を希望していたものではなかろうか。そのことはサライも当然知っていたから、売り込んだのだろうと推定できる。一般には「モナリザ+聖母幼児キリスト聖アンナ+洗礼者ヨハネ」だろうと思われているが、フランソワ1世の嗜好からいうと「レダ」も入っていたんじゃないかなあ、と思うところである。
この2604リーブルというのは「とほうもない金額」だそうだが、当時の1リーブル=数万円?ぐらいの感覚だとして、5000万円〜2億円ぐらい?じゃないかと推定している。

1525年にサライの遺産目録に入っていた絵はひょっとしたら、現在プラドにある作品(イメージ)ではなかろうか?  これは、レオナルドも関与したサライなどレオナルド工房の作品とされているし、サライの所有物であってもおかしくないだろう。 フランソワ1世としてはレオナルド自身が描いたルーブルのモナリザが欲しかったので、2枚目のこちらはいらないと辞退され結局サライのもとに留まったのかもしれない。勿論もう一人の弟子メルティも1520年以降にイタリアに戻っているから、メルティが相続した財産の一部なのかもしれない。なぜならプラドの作品は1666年のスペイン王室目録にも載っている(Inv. Felipe IV, Alcazar de Madrid, 1666. Num. [588].)、十六世紀当時のスペインには、イタリアからの多量の美術品が流入していたようだからだ。

1531年の記録にある絵は、おそらく数多くの模写の一つであろう。


posted by 山科玲児 at 09:22| Comment(0) | 2017年日記
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