西洋陶磁つながりで思い出したのは、矢代幸雄氏が大和文華 第15に書いていたデルフトの盃だ。高さ3.8cm 直径6cm。
近鉄の種田社長に依頼されて古美術を収集し、大和文華館の初代館長になった矢代幸雄が、イメージのデルフトの盃を紹介していた。これは、当時既に大和文華館所蔵になっている。あまり美術館展示むきとは思えないが、研究資料であろうか。
みてのとおり、カラー図版だけでは、デルフトにはみえない。なんか変な感じはあるが、伊万里または康煕の民窯色絵という感じにみえる。 万暦赤絵という感じはない、スワトウ(呉須赤絵)でもない、乾隆というわけもない、やはり康煕か光緒かな。ただ、カラー写真だけではデルフトだとみわけるのは困難である。実物をみて裏の高台を鑑、重さをみ、さわってみてはじめてわかるのだろう。
矢代氏によると、Louwys Fictoor 1689-1714のマークがあるそうである。本物のマークかどうかはともかくデルフト系のものでオランダで製造されたものには違いないだろう。
1981年にベルギー王室秘蔵セラミック・ロード展という展覧会があり、ブリュッセルのコレクションにある、陶磁器を観た。西欧でつくられた中国陶磁器写し、伊万里写しを、本物というか中国陶磁や伊万里とともに展示してあった。実によくできていて、これは即断できないなあ、と思ったものである。その後、2001年に、このコレクションの一部をブリュッセルの EXPO公園区にあるChina Palaceで再度観た。
考えてみれば、輸出陶磁器は有田や景徳鎮でも西洋むけに作るわけで、ときには東インド会社から見本や図面もらって作ったりしたんでしょうからねえ。それらをもとにして、西欧で伊万里写し中国陶磁写しとして作られた陶磁器は、双方から歩み寄っているわけだから似てるのは当たり前ではある。
デルフト焼きと言えばハーレムのフランス・ハルス美術館のタイルがすごく良かったですね。白地に青で描かれたなんとも言えない素朴な絵が、とても印象に残っています。