2017年11月13日

朔太郎から蕪村へ

美味方丈記.JPG


 大正昭和期の詩人 萩原朔太郎は俳句は大嫌いだったが、与謝蕪村の俳句だけは好きで愛好していた。 ただ、正岡子規の蕪村解釈には反対で、そのためか「郷愁の詩人  蕪村」という一書まで出版している。
  萩原朔太郎 郷愁の詩人  与謝蕪村
    http://www.amazon.co.jp/dp/4003106229
 20世紀の詩人のなかで、当方が高く評価している朔太郎がこういう本を書いているというので興味をもってよんでみたが、予期どおりかなり独自なみかただが面白い評論・蕪村鑑賞の一つの道だと思った。
これは岩波文庫にまでなっている。

  確かに蕪村には俳人としては変わったところがあり、画家としてのほうが有名かもしれない。確か南画六大家の一人じゃなかったろうか。
芭蕉や一茶や去来が絵を描いたなんて聞いたこともないから、これだけでもかなり特徴がある。
蕪村の絵というと「奥の細道図巻」のような草々とした「俳画」を思い浮かべるが、
イメージの茶酒宴屏風のような濃いものも多い。これは陳舜臣夫妻による「美味方丈記」の表紙だが、この絵を最初みたとき蕪村だとは思わなかった。この屏風は本のクレジットには東京国立博物館所蔵となっているが、 画像データベースにはなく、なぜか山梨の 嘯月美術館にあるようなので、なにかの間違いか、東京国立博物館に寄託されていたのか、それとも2点あるのか、というところだろう。
嘯月美術館

同様な「濃い」蕪村は京都国立博物館の「野馬図屏風」など少なくないようだ。

与謝蕪村  野馬図屏風  京都国立博物館
http://www.kyohaku.go.jp/jp/theme/floor2_3/f2_3_koremade/2016_buson.html
  
なぜか、
野馬図 文化遺産オンライン
bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/43541
の写真はとても暗くて、よろしくないので、京都国立博物館のほうの写真をみてください。

東京国立博物館の「蘭亭曲水図屏風」は、濃い屏風と俳画の中間的なものだが、蘭亭曲水の図解としてしばしば使用されている。
 たんなる憶測に過ぎないが、「濃い」蕪村の絵を観ていると蕪村が京都に長年すんでいたことと関係があるかもしれない、と思うところがある。あの極彩色の伊藤若冲の画を愛好した京都なので、そういう需要が多かったのかもしれない。
京料理というとチマチマと美しく盛りつけた薄味の上品な料理を連想するが、実際の京都人の好みには別の一面があって意外に脂っこいえぐいものが好き、という話を聞いたことがある。 

京都の一番古い料理、原型的な料理として、 七条わらじや、の「うぞうすい」をあげる人が多いが、あれはそうとう「濃い」ものだ。
にしんそばも、結構脂っこいものだしね。
ぎょうざの王将も京都発祥である。


posted by 山科玲児 at 08:00| Comment(0) | 2017年日記
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