2018年03月29日

燃やされる書物・救われる書物

Casa albert Madrid 2016.JPG

  上のイメージの奧の1Fが赤く塗ってある建物が、スペイン マドリードのセルバンテスが住んでいた建物だそうだ。1Fはカーサ・アルベルトというバルである。
 この通りは、もとは書籍商街だったらしいが、今はあまり本屋がない。

セルバンテスのドンキホーテを繙いてみる。
セルバンテスは第9章で「道ばたに散らかっている紙切れでさえ拾ってみるほど、ものを読むことが好きな」読書家と、自称していた。そのドンキホーテを読み始めると、読書家愛書家らしいペダンチックな話が多くておもしろい。
 どちらかというと、アラビアンナイトの枠物語のようで、脱線が多い。一直線に物語を読み結末を早く知りたいというような性急な読者にはあまりむいてない。1605年に出版されたドンキホーテがベストセラーになって偽作の続編まで作られ、それに対抗してセルバンテス自身が真正の「ドンキホーテ 後編」を作ったというのは、当時の読者は相当現在とは本の趣味が違っていたのだな、、と思うところがある。
 第9章で偽装されているように、このドン・キホーテ・デ・ラマンチャの物語は、アラビアの歴史家  シデ・ハメーテ・ベネンヘーリがアラビア語で書いた写本を、無名のモール人が翻訳したものをセルバンテスが編集して出版しているという虚構になっている。
  なんか、こういうのは、ニコラス・メイヤーが書いた「シャーロックホームズの素敵な冒険」のシャーロッキアン的設定「ワトソン博士が養老院で口述筆記した原稿が発見され、それをメイヤーが編集して出版」というのに類似している。

  燃やされる書物::
  第6章で、ドンキホーテの親友の司祭と外科医兼床屋 がドンキホーテの書斎で狂気のもとになった書物を焼いてしまおうと、本を次から次へと取り出して書評をして選別する場面がある。まず、当時流行った騎士道物語が次々にあげられ、さらに詩集や、セルバンテス自身の本まで批評される、結局、家政婦の手でほとんどは裏庭で燃やされることになるのだが、、なんというか無名草子のようなのりである。
  しかし、家政婦や姪によって、蔵書が燃やされるというのは、現在日本でもざらにありそうな気がしている。
  
  救われる書物::
  ドンキホーテの第9章で、作者セルバンテスが、トレドのアルカナ街で、少年が絹商人に売ろうとしたアラビア語のコデックス写本と紙束写本を、半レアルで買って、トレドの街頭でつかまえたモール人に翻訳させるという話がでている。

  マリア メノカルの本

の記述では、いかにも悽愴悲壮な感じが漂っているが、オリジナルのドンキホーテでは、全く逆のあっけらかんとした感じである。なんで、トレドの街頭で都合良くアラビア語が読めるモール人をすぐつかまえることができるのか、、というのがご都合主義ストーリーそのものではあるが、全体に明るく喜劇的である。

   実はドンキホーテの翻訳本を読み始めたのは、このメノカルの本の「ラマンチャの何処かで 1605年」という章に、トレドの街頭で写本を買う場面の引用にひきつけられて、読み始めた。だが、雰囲気は全く違っていた。
  このメノカルの本は、相当、偏見に満ちていて、中世スペインの人々が皆子供のころからアラビア語をしゃべっていたような印象すらうける。 中世スペインのアラビア語は知識人の言葉で、18世紀以前の西欧のラテン語のような役割だろう。例えば殆どイスラム化しているイランだって、現在でも言葉はペルシャ語で、アラビア語は宗教の言葉ですね。イスラム支配のスペインの後ウマイヤ朝でも、上流階級以外でアラビア語が母国語になるはずないでしょう。それなら、スペイン語が現在生き残っているはずがない。エジプトみたいにアラビア語が母国語になってるはず。まあ、コルドバは当時、世界有数の大都市、長安・バクダートに並ぶ大都市で繁栄し、文化の粋を誇っていたことは確か。野蛮なフランク人の国(現在のフランスとかドイツとかイギリス)とは天地ほども違っていたでしょう。文化文明芸術科学は、コルドバ⇒西欧へと流れたのは確かです。 でも、此の本では、トルバドールの起源についてもアラブ説という現在では古くさい説をとっている。そこらじゅうにコンベルソやモリスコの鬱屈・偽装・隠蔽・差別を無理矢理発見するという見方で書かれていて、どうみてもおかしい。
 これじゃ、出汁にされたセルバンテスが気の毒だ。

  メノカルはペンシルバニア大学卒業のアメリカ人らしいが、アメリカ人思想家にときにみられる偏狭なイデオロギーで中世の猥雑でリアルな現実を解釈しているので、取り上げた資料はおもしろいとはいえ、その解釈は感心しない。このテーマはスペイン人研究者、あるいはむしろ日本人研究者やインド人研究者によるもっとまともな論がほしいものである。
  下イメージはトレドの、もとシナゴークであった、サンタマリア ビアンカ教会(今は遺跡状態ですが、、)の内部
St Maria Blanca Toledo.JPG
posted by 山科玲児 at 07:13| Comment(0) | 2018年日記
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