2018年04月03日

疑古は日本発か?

を読んでいるんだが、

いわゆる
疑古派の加上説が、日本の大阪町人学者:富永仲基(1715年) - 延享3年8月28日(1746年)の加上説の影響のもとに、発生したということはないのだろうか? 時間的先後は問題ない。

内藤湖南:大阪の町人学者

内藤湖南が富永仲基のことを講演していたころと、古史辨が刊行されたころが、丁度奇しくも同じ時代である。勿論、胡適が北京大学でそういうことを話していたころは、もっと古いから、内藤湖南からではないだろうけれど。。

古くは明治初めに、楊守敬が日本で古書漁りをしたし、日清戦争後は大勢の官費留学生
が日本に来ている。

中華民国時代の中国の国画が日本の院派(菱田春草など)の絵画をパクリ放題だったことを考えると、
ひょっとしたら、と思うところである。

日本人は、えてして中国に学ぶことばかり考えていて、中国⇒日本とばかり想定していて、中国人が日本人の発想・思想をパクることをあまり想像しないからね。



posted by 山科玲児 at 07:18| Comment(0) | 2018年日記
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