昨日、ウィキペディアにでてる明中期の画家:唐寅(1470-1523)の肖像画をみて憤慨した。なんだこの老人は。。
色男で多芸多才だった唐寅はこんな顔には描かれたくなかっただろうな。それに確か54歳で逝去している。昔は早老の人が多かったとはいえ、これはひどい。デスマスクのような意味での肖像なんだろうか
色男で多芸多才だった唐寅はこんな顔には描かれたくなかっただろうな。それに確か54歳で逝去している。昔は早老の人が多かったとはいえ、これはひどい。デスマスクのような意味での肖像なんだろうか
唐寅自身が描いた 五十自寿図というのがあったらしいが、今は亡失している。唐寅自身が描いた自画像で小さなものが大きな山水画(西州話旧図、台北故宮と上海にほぼ同じものがある。このイメージは台北のから)の一部として残っているがそれは、左イメージのようなものである。また、ずっと後代、清時代の嘉慶6年であるが、唐寅の子孫縁戚が編集した唐寅の文学作品集 六如居士全集の巻頭木版肖像は右イメージである。
また、先述の五十自寿の模写の模写??らしいものがあって、香港あたりにあるものらしいが、原形をいくらか留めているかもしれない。いずれも、ウィキペディアの肖像とは似ても似つかない。映画や小説に出てくる唐寅のイメージなら右の六如居士全集のイメージのほうがよく合うように思う。ウィキもこれに変えたほうがいいだろう。
しかし、どうしてこういう現実とかけ離れた、あるいは本人が描かれたいイメージともかけ離れた肖像を作り、またそれを平気で使うのであろうか??
趙之謙の肖像も別人だった。
本当に不思議だ。
本当に不思議だ。
【追加】酷い例だが、ある中国の唐寅の解説をしているサイトで文徴明の肖像と書いてある肖像画を顔のところだけ切って、唐寅の肖像画として、出していた。
どうも、最初にあげた老人の肖像は、光緒年間に刊行された呉郡名賢圖傳賛にあげられた肖像をもとにあくどく色をつけたもののようである。 やはりそれほど古い絵ではなかった。
【追加終わり】
そりゃ、屈原とか李白とか項羽とか曹操とかなら、まともな肖像が残っているわけがなく、イメージ的な肖像にならざるをえない。李白なんかは西域 条支の出身だからイラン人っぽい顔だったかもしれないが、似顔絵程度でも残ってないと結局は空想でしかない。しかし、明時代ぐらいからなら、結構信じるべき肖像があるし、万歴ごろからは西洋画法が入って気味が悪いくらい精緻な肖像がでてくる。だから、多少はましな肖像があることが多いのに、マンガや小説挿し絵ならともかく、ウイキペディアでこういう空想肖像を使ってしまうのはどういうことだろう。
政治家や有名人の肖像でカリカチュアを好むような好みなのだろうか?? 歴史事実に迫るなんて気が最初からさらさらなく、適当にやっているのだろうか
そうなると、毛沢東の肖像はともかくとして、現実には優男の林彪の肖像なども全く捏造されることになるかもしれないあ。。
ジョージ・マーシャル将軍にだまされた蒋介石も、自業自得なところもあるとはいえ、色々な意味で歴史的敗者だから、今後ちゃんとした肖像が伝わるのだろうか。。台湾でも虐殺者・圧制者として指弾されているから尊敬してくれる国がなくなりそうだからである。
敗者といえば、第二次世界大戦後の裁判で「国民党はアメリカと通謀し、共産党はソ連と通謀したではないか。私たちが間違っていたのではない。単に日本が負けただけだ。」と正論を述べた陳璧君の肖像も残しておきたいものだ。