2018年04月27日

ヴィクトリア・コンターク

道済Tao_Chi.jpg


ヴィクトリア・コンターク女史 Viktoria von Winterfeldt-Contag (1906–1973)は、画家画商 王季遷と一緒に、中国画家の印鑑印影を集めた集成本を刊行した人だ。最初の出版は1940年ごろのようだが、香港大学の1966年の出版が歓迎されていて、英語が併記されていたこともあり、長い間、特に欧米では便利な参考書になっていた。

Seals of Chinese painters and collectors of the Ming and Ch?ing periods
 by Victoria Contag and Wang Chi-ch?ien. Introd. by James Cahill.
明清畫家印鑑
Wang, Chi-ch?ien.
王季遷, (comp.)
Contag, Victoria, (joint comp.)
Published[Hongkong] : Hong Kong University Press, 1966.


1980年以降では、上海博物館が編んだ印影、サイン集成
中国書画家印鑑款識(上下)  文物出版社,1987 ( その後何度も再版され今でもでてるようです)、、など他の本もでてきた。

   この種のものは、真贋鑑定に使われやすいが、掲載印影がそもそも、真作・本物からとられているのかという、編集者の力量鑑定力に依存するところがある。全面的に信用するわけにはいかないが、あまり知らない画家などの場合は特に便利なものである。
  上海博物館編集のものは、当然ながら、上海博物館の所蔵品から、多く採っている。

  近年、香港の雑誌オリエンテーションズで印章専門家と称する人Kathleen Yangのあまりにも稚拙な印影比較議論みたので、いくら為にする議論とはいえ、欧米在住中国人の印影比較のレベルはこの程度かとがっかりしたものだ。この低レベルな論文が掲載されるような香港や米国の状況では、こういう集成本ですら宝重されるだろう。。。

  このヴィクトリア・コンターク女史は17世紀中国山水画という専門書もある人で、明末清初から18世紀の中国絵画を結構コレクションしていたようだ。
  ケーヒル先生のエッセイ
 What become of  the Contag Collection(コンターク コレクションにおこったこと)

は、このコレクションの行方についての興味ツツなお話である。

 このコレクションは、もともと、Contag女史が上海にいたときに収集したものだという。1950ー1960年代には、友人ローレンス・シックマンのつてでカンサスシティーのネルソン・アトキンス美術館に預けていたそうだ。
  ケーヒル先生がカリフォルニア大学バークリー校に移ったころに、Contag女史がコレクション150点をまとめて、あのブランデージ氏に売却しようとしていた。ケーヒル氏たちもそれをサポートしていたらしい。全部で45万ドルというみつもりだったようだ。サンフランシスコのアジア美術館にまとまることになるからケーヒル先生たちは援助したようだ。 ところが、ブランデージ氏の美術蒐集アドバイザー の妨害のためらしいのだが、、ブランデージ側からは10点ぐらいだけを買いたいという返事立った。女史はとても怒ってこの件を破談にしてしまった。結局、画商王季遷が買ってしまったようである。ケーヒル氏はなんとかカリフォルニアのベイ・エリアに留めようと、色々活動したようだ。
  まあ、原文読むと美術商、学芸員や学者の生臭い争い・嫉妬話がでてくるし、またケーヒル先生も、決して中立の立場とはいいかねるので、どこまで公平な記述かはわからないが、おもしろいエピソードには違いないと思う。
 このコレクションのなかには、石濤の有名な画冊があった。
  禹兄のために描いた画册、、とうもので、ケーヒル先生が紹介したこともあり、イメージの絵は特に有名である。  どうも、今は、米国個人の蒐集家のもとにあるようである。


posted by 山科玲児 at 07:21| Comment(0) | 2018年日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]