2018年04月29日

故宮文物の伝世::嘘が多すぎる



蘇東坡の黄州寒食詩巻について、

>本詩巻は、歴代の皇帝により所持されたものであり、
とか宣伝文句がいわれることがある。

だいたい、北京の故宮博物院、台北の國立故宮博物院の文物の紹介でも

宋元明清  歴代の宮廷に受け継がれてきた、、

とかうたい文句をいうものだが、 果たしてそうだろうか??

まず、明末、李自成の北京撤退のとき、北京の紫禁城は焼き払われている。ドルゴンが紫禁城に入っとき土台しかなくテントで生活したそうである。 
いくらか残った建物はあったかもしれないが、北京の紫禁城にあった文物はほとんどなくなったはずだ。
つまり受け継がれていないのである。

じゃあ、なぜ、一見  受け継がれているみたいに、元宮廷の印や明政府の印があったりする書画があるのか??
明の皇帝は教養がなく書画に感心が薄かった。おまけに貪欲で、宦官がばっこし、没収した書画をすぐ売却したり横領したりしたからである。つまり、宮廷から民間に盛んに書画が流出していたので、
紫禁城が焼き払われたときの被害が少なかったのだろう。勿論 被害はあったのだが、(例えば欠十七行本十七帖はたぶんこのとき焼失している)、、全滅にはならなかった。

その前はどうかというと、元から明のときは大都(北京)征服のときには没収があって、これはわりと受け継ぎができてる。南宋が滅んだときもある程度は没収されているようだがモンゴル人自体があまり興味がなかったこともあり損失が大きい。北宋が滅んだときは徽宗皇帝が集めすぎていたんで相当失われてしまったが、金の宮廷へ没収されたものがかなりあるようだ。また、開封から南方へ避難する過程で文物書籍が失われた過程は、李清照の金石録後序によってよくわかる。

いずれにせよ、宮廷と民間を行ったり来たりした文物のほうが普通で、代々受け継がれたってのは、乾驕|>嘉慶−>道光−略ー>ラストエンペラー を除くと、ほとんどないと思ったほうが正確だろう。





posted by 山科玲児 at 07:15| Comment(0) | 2018年日記
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