最新刊の香港の雑誌orientations
https://www.orientations.com.hk/
に掲載された
Fletcher Coleman . Fragments and Traces: Reconstituting Offering Procession of the Empress as Donor with Her Court
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Fletcher Coleman . Fragments and Traces: Reconstituting Offering Procession of the Empress as Donor with Her Court
https://www.orientations.com.hk/search-index-result/?art_id=12416&backissue_id=12383&article=detail
のなかで、
龍門石窟の北魏の賓陽中洞にあった浮き彫り皇后禮佛図
のなかで、
龍門石窟の北魏の賓陽中洞にあった浮き彫り皇后禮佛図
が米国 カンサスのネルソン アトキンス美術館にきた経緯と現状について詳細な記録が提示されていた。
この浮き彫りの拓本は2000年に中之島の大阪市立東洋陶磁美術館のホールにかけてあったことがあり、その大きさ、1面が縦2m横3m、と優秀さに強い印象を受けた(イメージ)。
この浮き彫りの拓本は2000年に中之島の大阪市立東洋陶磁美術館のホールにかけてあったことがあり、その大きさ、1面が縦2m横3m、と優秀さに強い印象を受けた(イメージ)。
この論文を読んで、まず、驚いたのは、現状のこの浮き彫りの半分以上が本物ではないことである。米国に来てから破壊前の写真や拓本を参考にして補ったものである。米国に来た段階では多量の断片・破片の集合体であって、それをセメントなり石膏なりで間を補いながらもとの画面に復元したものである。つまり、この浮き彫りを根拠に北魏の美術・風俗を論じるには注意を要する、ということだ。
次に、この浮き彫りは、まだ右にかなり行列があった。そこではおおきなシビや扇を立てた侍女がみえる。
ハーヴァード大学にある 拓本によると、横が4mあるようであるから、約1m分が失われている。
harvard Art Museums 906.1933
そうすると、大阪で観た拓本は破壊前のものではなく、復元したあとで、米国で採拓したものかもしれない。
これと対になっていた、やはり米国へ渡った
もよくみると、廷臣の首が浮遊していたりして不自然なので相当な補修があるのだろうと、思う。
この大破壊は1933年と1934年の間で行われたようだ。更にひどいのは、この断片と称する偽物の断片まで古美術商に出回って、北京にいて、中国人古美術商から断片を収集し、復元しようとしていたネルソン美術館の担当者:ローレンス・シックマンを悩ませたらしい。
ここで、よくわからないのは、もし売るために切断切り出しをしたのなら、なぜこのように破片状態にしなければならなかったのだろうという不思議である。ちゃんと切り出して売ったほうがよほど高く売れるわけだし、破壊も相対的に少なかったはずである。
多くの石窟の破壊で、そういう粗暴で奇妙な破壊行為がみえるのが、なんとも不思議なことである。